この世のものではない
<※ネタバレ注意>


 『共犯者』(日本テレビ系)という連続ドラマが、去年の10月から12月にかけて放映された。自らの手による殺人事件の時効を間近に控えるOL・美咲(浅野温子)の前に、ある日“共犯者”を名乗る謎の男(三上博史)が現れる。彼は美咲を守るという言葉のもと、彼女の立場を不利にしかねない人間たちを次々と手にかけ、美咲は彼に不信感を抱きながらも徐々に惹かれていくが、彼の正体は美咲自身であった、という衝撃的な真相が最終回で明らかになる。
 このドラマを観終えて、私はミステリー映画『エンゼル・ハート』('87・アメリカ)を想起した。ブルックリンのしがない私立探偵(ミッキー・ローク)が、ある怪しげな紳士(ロバート・デ・ニーロ)からの依頼で人探しをする。その過程で、彼が聞き込みに訪れた相手が次から次へと何者かに殺される。彼は度重なる異常事態に半狂乱となるが、実は依頼人の紳士は悪魔であり、探偵はその悪魔に魂を操られて自分でも知らぬ間に聞き込み相手を殺していたのだった。
 こういった路線の源流ともいえる有名な話がある。雪山で登山隊の二人(A,B)が遭難し、山小屋にたどり着く。AはBに黙って小屋の近くにこっそり食糧を隠しており、腹が減ると「外の様子を見てくる」などと言っては隠し場所へ行って自分だけ食糧を摂って帰ってくる。それが何日も続いて痩せ衰えたBはある日とうとう死んでしまい、AはBの遺体を小屋から離れた場所に埋葬する。ところが、小屋に戻って一晩眠り翌朝目覚めたとき、なんと埋めたはずのBの遺体がAの隣に横たわっている。気味悪くなったAはまた元の場所へ埋めにいくが、翌朝も、その翌朝も、Bは同じように自分の隣に横たわっており、挙句にAは狂ってしまう。
 いかにもBの怨霊が歩いて戻ってくるようだが、真相はこうである。自分では一晩中眠っているつもりだったAが、実は無意識のうちに夜ごと起き上がってBを埋めてある場所に向かい、遺体を掘り出して小屋まで背負って帰っていたのだ。Aの良心の呵責、罪の意識がこういう凄惨な結末を生み出した、という話である。
 これら3つの怪奇譚は、「自分の中にもう一人の自分がいる」という底知れぬ恐ろしさを描く点で共通している。自分自身という、自分がその全てを知るはずの存在の中で、見知らぬ誰かが産声を上げ、独り歩きしている――そんな事実を突きつけられたら、人は絶対の信頼を寄せていたものから刃を向けられるような愕然たる戦慄を覚えるであろう。
 それに、共通点がもう一つ。超常現象や恐怖体験などというものは人間の異常心理(それが自律的か他律的かに拘らず)が見せる幻影なのだ、と暗に示唆している点である。幽霊や亡霊なんて想像の産物にほかならず、それこそ「怖い怖いと思っているから変なものが見える」というわけだ。たしかに、怪奇現象なるもののほとんどは科学で解明できるだろうし、それらにはマジックと同じで何らかの合理的なタネがあるはずだ、と私も思う。だが……
 科学とは現世においてのみ有効なものであり、科学で解明できる程度の怪奇現象は所詮いわば“この世のもの”にすぎない。それがすべてだとタカをくくって安心しきったら、その時こそ“この世のものではない”恐怖があなたに襲いかかってくるかもしれない。この世の域を超えたものを蔑ろにした罰として、二度と立ち直れなくなるほどの恐怖を刻みつけてやろうと、ニンマリ舌なめずりでもしながら、あなたの背後にジンワリ忍び寄ってくるかもしれない。


'03-'04.冬  東雲 晨





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