2010年、獄中でノーベル平和賞を受賞した民主活動家・劉暁波氏が、この7月、61歳で世を去った。
 天安門事件において、軍と学生の武力衝突を回避させた「非暴力の闘士」は、中国の大幅な民主化を求める「〇八憲章」を起草し、国家政権転覆扇動罪で服役。今年5月、末期肝臓がんが判明して以降も、中国政府から国外での治療を拒否され続けての最期だった。
 本人不在のノーベル賞授賞式でも代読された劉氏の言葉は、後世に延々と語り継がれていくだろう。

 「私に敵はいない。私に憎しみはない。
  最大の善意をもって政権の敵意と向き合い、愛で憎しみを消し去れれば、と願っている」

 祖国の民主化を願う愛が、国家の憎悪を溶解する。


 一昨年11月、パリ同時テロ事件で妻を亡くした夫が犯人たちへ宛てたメッセージは、インターネットに乗って世界中を駆け巡った。
 その夫――フランス人ジャーナリスト、アントワーヌ・レリスさんによる「君たちに憎しみを与えない」と題されたツイッター投稿。以下は、東京新聞に掲載された日本語訳からの抜粋である。

 「私は決して、君たちに憎しみという贈り物を贈らない。
  君たちはそれを望むだろうが、怒りで応えることは、君たちと同じ無知に屈することになってしまう。
  君たちの負けだ。私はまだ、私のままだ。
  彼女は、いつも私たちと一緒に歩む。そして、君たちが決して行き着くことができない天国の高みで、私たちは再び出会うだろう。
  私と息子は2人になった。でも私たちは世界のいかなる軍隊よりも強いんだ。
  私が君たちに費やす時間はもうない。この幼い子の人生が幸せで、自由であることが君たちを辱めるだろう。
  君たちは彼の憎しみを受け取ることは決してないのだから」

 人生の相棒たちを大切に思うからこそ、憎しみの連鎖を断ち切らねばならない――そんな毅然たる決意には、テロへの最も理知的な対応として、大きな敬意を表さずにいられない。

 近しき人に捧げる気高い愛が、怒りへの卑しい誘いを拒絶する。


 6月、ドナルド・トランプ米大統領が、地球温暖化防止の国際的枠組みである「パリ協定」からの離脱を表明した。
 地球環境よりも国内雇用を優先したい一心で、温暖化を「フェイクニュース」と断じるのは、いかにも「自国」の「経済的利益」だけを追い求める彼らしい振舞いだが、その政策に反発したアメリカの州政府や産業界は、「連邦政府に代わって『パリ協定』順守を目指す」と宣言した。
 さかのぼって、1月にトランプ大統領が移民・難民の入国を停止する大統領令に署名した際も、ニューヨークやカリフォルニア、マサチューセッツなど十五州と首都ワシントンの司法長官が、「大統領令は憲法違反だ」と非難する共同声明を出した。
 ビル・デブラシオNY市長による、
 「出身地や不法移民かどうかに関係なく、全ての住民を守る」
 「移民を受け入れてきたこの国とニューヨークの価値を守るために立ち上がろう」
 といったコメントは、ある種の“アメリカの良心”を代弁している。
 政府がダメなら彼らに頼らず、我々の手で打開しよう――自治体本来の“自力本願性”は、「たとえ大統領の命令だろうと、自分たちの尊厳を踏みにじるような悪政には決して屈しない」との矜恃に裏付けられているのだろう。

 地球環境や共生社会に寄せた愛が、無能な暴君への憤りを凌駕する。


 さて……劉暁波氏を最後まで「赦さなかった」中国共産党は、習近平政権のもと一党独裁体制をますます強化しているが、国際社会の目をモノともしない今回の酷薄な措置に対して、中国との「経済的結びつき」を最優先する「国際社会」からの批判もまた及び腰であるという。
 一方、就任から半年が経っても国際協調など「どこ吹く風」のアメリカ大統領は、ミサイル発射を繰り返す北の最高司令官に向けて「この男は他にやることがないのか」と毒づきつつ、自らは子供じみた敵意をツイッターで拡散する他に何もやることがないようだ。
 そして、中東での劣勢が顕著な「イスラム国」(IS)は、欧州で頻発するホームグロウン・テロや「東南アジアに新たな拠点を」との動きから観測するに、その勢力を今までよりも広域化させ、地球規模では逆にテロの脅威が増しているとさえ言えよう。

 世界中のさまざまな「愛」は、まったく功を奏していないように見える。
 しかしながら――

 7月の東京都議選。秋葉原での演説中に聴衆からヤジを飛ばされた首相が「こんな人たちに負ける訳にはいかない」と声を荒げた翌日、自民党は歴史的大惨敗を喫した。ただし、その暴言に続く「憎しみからは何も生まれない」という、一体どの口が吐くのか失笑したくなるセリフは、それ自体は正しいどころか、むしろ控え目とすら言えるだろう。
 都議選では、都民ファーストの会という「受け皿」に「アベ憎し」の票が流れた訳だが、その「受け皿」を率いる人気者の都知事は、かねてより改憲を唱えてきた人物であり、もしも都民ファーストが国政に進出すれば、改憲において現政権と連携する可能性も危惧されている。
 「より良い社会づくり」への愛よりも「驕慢な権力者たち」への憎悪を源泉とする投票行動は、愛に根差した平和憲法を憎悪にまみれた暴力装置に捻じ曲げようとする「さらなる悪政」しか呼び込み得ないということか。

 愛をもって臨んだところで、当面の相手と分かり合える日は来ないかもしれないが、自分や周囲の本質的価値を高めることはできるだろう。
 しかしながら、憎しみをもって臨む限り、そこから何も生まれないどころか、自他もろともに全てを貶め続けるだけなのである。


'17.夏  東雲 晨





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