この秋、NHKで『デザイナーベイビー』という連続ドラマが放映された。

 新生児誘拐事件の発生で幕が開くこのドラマは、若き身重の女性刑事を主人公に、さらわれた新生児の追跡をサスペンス・タッチで描くものだが、捜査が進んでいくうちに、その赤ん坊は白血病である兄への骨髄移植ドナーとして遺伝子操作を施された“作品”であることが判明する。
 生殖医療の進歩は、遺伝的性質を自由に操作して設計できる「ゲノム編集」なる技術を編み出した。結果、「人を人の手で望みどおりに作り変える」ことが可能な時代に、我々は否応なく直面している。そんなおぞましい現状において、人間は“神の領域”を侵さないだけの自制心や倫理観を保つことができるのか――この医療&警察エンターテインメント作品は、原作者の現役産婦人科医による重い問いかけでもあるのだろう。


 遺伝子操作が、もっと原始的な方法で実践された事例もある。

 同じく秋に放映されたドキュメンタリー『それはホロコーストのリハーサルだった〜障害者虐殺70年目の真実』(NHK Eテレ)では、ユダヤ人大虐殺の前夜にドイツ人障害者が20万人以上も殺されたという驚くべき事実を紹介している。ナチス政権によるホロコーストはあまりにも有名だが、それに先がけて大規模な障害者虐殺が秘密裡に行われ、そこに医師たちも関わっていたことを彼ら自身が明らかにしたのだ。
 当時ドイツは、第一次世界大戦での敗北に加え、世界恐慌による不況で国全体が打ちひしがれていた。そんな中、経済復興によってドイツ民族の優秀性を国内外に示し、国民に自信を取り戻させたいと願ったヒトラーは、折しも広がっていた「社会ダーウィニズム」や「優生学」といった思想も踏まえて、人間を生産性や経済性の高さでランク付けし、障害者や遺伝性の病気の人々を「金ばかりかかって生きる価値のない命」と断じた。そして、遺伝病の子孫を予防する法律(通称「断種法」)を制定した上、全国から精神科医や病院長を集めて障害者殺害の極秘計画を進めたのだ。この時に培った“虐殺ノウハウ”が、後のホロコーストに引き継がれていくことになる。
 かくも狂おしい“命の選別”も、ある種の「ゲノム編集」と呼べるだろう。そして、70年前の時点でそんな所業を可能にしたのは、「最先端テクノロジー」ならぬ「経済優先の独裁国家権力」であった。


 この秋、「イスラム国」(IS=Islamic State)の関与が決定的とされるロシア航空機墜落に続き、パリではISによる同時テロ事件が勃発した。

 最強のイスラム過激派組織・IS――十字軍の遠征以来、千年にもわたって白人社会(もしくはキリスト教社会)から暴虐を受け続けてきたイスラム教徒たちの怨嗟を汲み、イラク戦争や「アラブの春」後の混乱に乗じて一気に現出したこの組織は、イスラム本来のカリフ制復興を謳いながら、実態はイスラムの教義に背く無差別殺人集団に他ならない。そんな彼らのテロリズムに曝されるたび、欧米諸国のリーダーたちが「テロに屈しない」と息巻いては、市民の犠牲を増やしつつ無策な「対テロ戦争」を繰り返すなら、世界中を憎悪と戦乱の渦に巻き込もうとするISの術中にまんまと嵌るだけである。
 仮にISが掃討されたとしても、さらに強力なテロリスト集団が次々と台頭し、理論的には欧米資本主義世界が壊滅するまでテロの連鎖は続くはずだが、西洋世界打倒を目論むISの在り方自体もまた、多分に資本主義的である。それは、制圧した地域の油田収入や人質誘拐の身代金などから潤沢な資金を成し、インターネットを駆使した広告戦略で肥大化するといった手口だけにとどまる話ではない。
 イスラム圏や移民への差別や偏見、および格差や貧困に日頃から不満を燻ぶらせる若者たちは数限りなく存在する。そんな彼らを、世界中に「憎悪と戦乱」を煽ることでより苛酷な状況に追い詰めてから巧みに取り込み、自爆も辞さないテロ実行犯に仕立て上げる――このISの戦略は、意図的に社会を格差化して貧困層の若者を創り出し、彼らの学費を肩代わりして戦場に送り込むというアメリカの「経済的徴兵制」と構造を同じくする。しかも、今回のパリ同時テロで危機感を高めた欧米がシリアからの難民受け入れを躊躇すれば、行き場のない難民たちもやがてISへと流入し、「捨て駒」はより員数を増すことになる。
 「対テロ戦争」は、国家と国家の衝突ではないという非対称性において「新しい戦争」と呼ばれる。だが、虐げられた人々を戦闘員に仕立てて一般市民を殺させる、つまり「強者が弱者同士を殺し合わせる」という図式は紛れもなく「従来の戦争」であり、たとえISが凱歌を挙げたとしても、そこには資本主義が孕む「弱肉強食」なる“最大の欠陥遺伝子”をそっくり受け継ぐ世界が「設計」されることだろう。
 自らが滅ぼした相手の最悪な遺伝子を注入された以上、いずれ自らも滅びゆくのは自明である。その滅亡に際し、イスラムの教義に背く彼らのリーダーが自爆するとしたら、それはイスラム的「殉教」でなく、やはりイスラムで禁じられる「自殺」と位置づけるべきなのだろうか。そう、かつてこの世を「弱肉強食の論理」でデザインしようとした独裁者が、ナチス崩壊を受けて選んだ“最弱の逃げ方”に等しいものとして。


'15.秋  東雲 晨





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