お笑い芸人・又吉直樹氏の小説「火花」が、先ごろ芥川賞を受賞した。「話題性を狙った選考結果だ」という批判が沸くのはごく健全な現象だが、今から半世紀近く前、史上最年少(当時)の23歳で芥川賞を獲得した丸山健二氏「夏の流れ」は、作者の若さと題材の特異性が大いに話題を集めたことだろう。
 本作の主人公は、刑務所で死刑囚を担当する看守。彼が家族や同僚と繰り広げる平凡な「日常」風景と、彼の仕事である死刑執行という「非日常」を極めた場面が、作中でじつに淡々と共存する。異様な職務に違和感なく順応できる者は、どうしても順応できぬまま職を辞する者よりも明らかに病的だが、それに加えて、「日常」と「非日常」とを足繁く往復するような日々は、「非日常」の世界にどっぷり浸る以上に病理が深いものではないか……そんな問いかけを、酷薄なまでに抑制された文体で差し出す、ある種の“ホラー”とも呼ぶべき作品であった。


 クリント・イーストウッド監督の『アメリカン・スナイパー』('14・アメリカ)は、イラク戦争で米軍史上最多の160人を射殺した元兵士クリス・カイルの伝記映画である。
 母国で「伝説の狙撃手」と称される一方、イラク側からは「ラマディの悪魔」と恐れられたクリス・カイルは、4度にわたるイラク従軍で華々しい戦果を挙げるも、戦場での苛酷な体験により徐々に心身を壊していく。除隊後は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩む帰還兵や退役兵の社会復帰を促す支援活動に取り組むが、ある日カイルは、奇しくもそのPTSDに命を奪われることとなる。
 心身に何ら変調を来たさぬまま戦地から戻れる“病的な軍人”も中にはいるだろう。しかし、戦争というものが、死者、生還者、および彼らを取り巻く膨大な人々の人生を無慈悲に破壊し尽くすこと、しかもそれは反戦派のみならず好戦派にも等しく降りかかることを、一人の象徴的な“愛国英雄”の一生を通して、“保守派の監督”が突きつけてくる作品である。

 今、アメリカの「対テロ戦争」においては、無人機ドローンを使った空爆が主流だという。兵士が現地へ赴かず、ドローンの遠隔操作でテロリストを殺害できるこの戦術は、「敵は殺しても自軍には被害がない」という、いかにもアメリカ政府らしい手前勝手なものだが、それによる民間人への誤爆の多発が世界的な非難を浴びている。
 ドローンでは、標的の性別は分かっても顔までは識別できないが、実際には「特定の行動をテロリストのサインと見なし攻撃する」という〈シグネチャー・ストライク〉なる作戦が採用されている。つまり、敵をハッキリ特定できなくとも「怪しければ抹殺する」ことが許可されているのだ。そのせいで一般市民への誤爆が相次ぎ、それが中東での反米感情をますます高めて新たなテロリストを生み出し続ける。
 「テロの連鎖」を積極的に推し進めるような政策自体も病的ながら、そんな政策でテロリスト掃討をなし得ると本気で信じ込んでいるなら、病状はさらに重篤である。
 しかも皮肉なことに、「自軍には被害がない」はずの無人機爆撃により、多数のドローン操縦士がPTSDに苦しんでいるとの報告もある。すべてPTSDが原因とは限らないものの、2014年の1年間でドローン操縦士およそ1000人のうち実に240人が職を辞したというのだ。
 日中はまるでゲーム空間にでもいるかのように遠く離れた敵を殺し、日が落ちて「業務」が終われば「職場」から家族の元へと帰宅する――そんな毎日を繰り返す異常な生活環境は、現実の戦場にとどまり続ける以上に、人間の肉体や精神を蝕んでいくのかもしれない。


 ロシアには、〈システマ〉という現地発祥の軍隊武術がある。これはロシア軍の特殊部隊が実践してきたメソッドで、部隊の元教官がソ連崩壊後に移住先のカナダで教え始めて以降、南北アメリカ、ヨーロッパ、中東、アフリカなど世界各地に広まった。
 「呼吸」「リラックス」「姿勢」「動き続ける」を四原則とする〈システマ〉のマーシャルアーツ(格闘術)は、「体力をつけ精神力を高めることで、攻撃しない人間になる」ためのものであり、「自分を殺しに来た相手さえも癒してしまう技術」と表現される。「どんな状況でも平常心を保ち、心身をリラックスさせることのできる者だけが生き残れる」との結論は、戦場という極限状態を潜り抜けた末に導き出された説得力あるもので、相手も自分もできるだけ傷つけることなく衝突を終わらせる=「破壊の否定」こそが、〈システマ〉の最終目的に据えられている。
 ロシア国家や軍の冷徹さは、反体制派の弾圧や異民族への迫害などからも明白である。だが、西側メディアの報道がそういった「宿敵の負の面」だけを強調している可能性は否定できないし、何よりも、特殊部隊という「冷徹の極致」を思わせる組織から「破壊の否定」なる思想が発せられる“ロシアの歴然たる事実”が存在する。片や、憎悪の火を鎮めて「争いを終熄させる」世界、もう片や、憎悪の火を燃やして「争いを永続させる」世界。この期に及んで「無条件反射」のごとく後者に追随しようとする病的な輩もいるようだが、それが自国や世界の安全・平和に資すると本気で信じ込んでいるなら、この患者、もはや完全に「手遅れ」である。

 “戦争病”なるものは、「特定の行動を“戦争主義者”のサインと見なし感染する」のかもしれない。そして、その「命中率」は“アメリカン・スナイパー”クリス・カイルすら軽々と凌ぐものなのかもしれない。


'15.夏  東雲 晨





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