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 連邦捜査官とテロリストたちとの闘いを描くアメリカ・ドラマ『24 -TWENTY FOUR-』の4年ぶり最新作『リブ・アナザー・デイ』が、間もなく日本にも本格上陸する。
 2001年のスタート以来、今回で9シーズン目を数える『24』は、複数の事件がリアルタイムで進行する1日24時間を、各シーズンにつき1話1時間分の全24話で描き切るTVドラマである。そこでは、テロ対策ユニット(CTU=Counter Terrorist Unit)という架空機関に所属するジャック・バウアー捜査官が、24時間不眠不休で「テロとの闘い」を展開する。
 バウアー捜査官は「テロの連鎖を断ち切る」「テロの起きない世界をつくる」といった遠大な手立てを講じる暇など与えられぬまま、とにかく目の前のテロリスト掃討に全力を注ぐ。その意味では、アメリカ社会の「射程の短さ」を体現するキャラクターともいえよう。だが、常に追い詰められた状況下で、時にルールを破り、場合によっては大統領命令に背いてでも「市民の生命」を守るべく最善策を模索し奔走する、“愛国者”ならぬ“愛民者”バウアーの「現場の正義」に、当初は敵対していたはずの周囲の人々も、知らず知らず感化され協力的になっていく。
 いくら「公」に尽くそうと、個人的には何ら報われないどころか、近しい人達ともども不幸な境涯へ追いやられる一方のバウアー。自らの因果な職務に時おり虚無や絶望を覚えながら、それでも「危険に曝されている人がすぐ傍にいたら、やはり救わずにはいられない」とする彼の意気に作り手側が託すのは、他者を顧みない新自由主義社会への皮肉か、あるいは世界のあちこちで自国が押しつける「おためごかしな軍事的正義」の正当化か、それとも、テログループに捕らわれた自国民の人質を「テロには屈しない」の一言で見殺しにする国策への痛烈な批判であろうか。
 「テロ撲滅への根本的な道筋を示していない」「犯罪者への拷問を許容しすぎる」など数多くの問題点も含めて、良きにつけ悪しきにつけ「21世紀アメリカ」の一端を窺い知る恰好の教材でもある『24』。何よりも、政治や諜報といった決して簡単とはいえない題材を、極めて面白いエンターテインメントに仕上げる手腕の見事さは、さすがにアメリカならではのものである。

 その『24』では、ある特徴的な制作方法が採られている。連続ドラマでありながら、ストーリー展開をあらかじめ役者に教えず、撮影終了ごとに次回分の台本を渡すというものだ。「役者が先々の展開を知ってしまうと、それが重荷になって演技から『自然さ』が損なわれる。また、先を見越して演じるようになるため、急なストーリー変更に対応できなくなる」――制作チームの言い分はいかにも理に適っているが、その手法のせいで、画面上には時として興味深い現象が立ち現れる。
 例えば、作中に出てくる一人のキャラクター(仮に「A」としよう)は、暴走するバウアーを援護し続ける「味方」なのだが、実はバウアーの追うテロリストと通じるスパイだったことが後になって発覚する。ただし、Aを演じる役者はそのことを発覚シーンの撮影寸前まで知らされなかったため、「味方」を演じている段階では「味方を装うスパイ」でなく、あくまで「純粋な味方」に成り切っているのだ。つまり、その段階で「スパイA」は役者の内にもキャラクターの内にもいない――画面上どこにも存在しない訳であり、言い換えれば「スパイA」は制作陣によって完全に「眠らされている」ことになる。

 いま、現実世界では、『24』を地で行くようなテロリズムが猛威を振るっている。
 フランスの風刺週刊紙シャルリエブド襲撃事件は、実行犯兄弟の射殺で取りあえず幕引きとなったが、兄の容疑者はイエメンでアルカイダ系国際テロ組織から数ヶ月間の軍事訓練を受けたあと帰国し、数年間は鳴りを潜めていたという。そこには、「訓練を終えた工作員を母国へ帰し、当分おとなしくさせて当局のマークが緩んだ頃に行動開始のサインを出す」というテロ組織の長期戦略が機能しており、そんな「スリーピング・セル(休眠細胞)」なるテロ予備軍が、すでに欧州各地へ送り込まれているとの不穏な観測もある。
 前出『24』のキャラクター・Aは、より自然な演出を施すべく、制作者のコントロールで「スパイの本性」をギリギリの時点まで封印された。仏紙銃撃犯もまた、「任務」の成功率をより高めるべく、組織のコントロールで「テロリストの本性」を一時的に凍結された。世界中を巻き込むテロの連鎖は、そもそも欧米によるイスラム圏への暴虐が発端だとも言えるが、そんな“欧米式好戦細胞”をもし何者かが休眠させ得たとしても、それは後に起動される対テロ戦争、すなわち“欧米式国家テロ”をより大規模で無惨なものにする「仮眠」にしかならないのだろうか。

 沖縄では、昨年の名護市長選や県知事選、および衆院選の全小選挙区での移設反対派候補勝利で、米軍普天間飛行場の辺野古移設反対という民意がハッキリ示された。にも拘らず、政府はそれを全く無視し「粛々と」移設作業を進めている。翁長雄志新知事への首相の面会拒否や沖縄振興予算削減といった措置は、政権の滑稽なまでの醜悪さを満天下に知らしめている。
 日本列島の形状を「竜」の身体になぞらえた場合、沖縄は「尾っぽ」に当たるとされる。その沖縄に対して“尾っぽに見合った犠牲的忍従”でも求めるかのように、琉球処分から沖縄戦、そして現在の米軍基地集中に至るまで、中央政府は一貫して「ずっと眠らせておく」べく仕立てた台本どおりにコントロールしようとしてきた。が、そんな理不尽な台本を読み進むうちに堪忍袋の緒が切れた沖縄は、今やそれこそ「不眠不休」の態勢で激しい抵抗を繰り広げている。
 沖縄のみならず、昨年7月の滋賀県知事選やこの1月の佐賀県知事選でも、自公政権の推薦する候補は敗れ去った。ふがいない国政選挙の結果とは違った動きが徐々に地方選で芽生えており、そこに沖縄の不眠不休の闘いぶりが影響しているのは間違いない。そう、「竜の尾っぽ」は己の体躯中央の“シンゾウ部分”に憤怒を突き刺すだけでなく、全身の「休眠細胞」をも片っ端から叩き起こしつつあるのだ。


'14-'15.冬  東雲 晨





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