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この夏空の下、少女にまつわる幾つかの事件が強烈な影を落とした。
長崎県佐世保市で高1少女が同級生を殺害した事件は、犯行の猟奇性自体もさることながら、犯人少女の実家が非常に裕福であることが大々的に報道された。とかくマスコミも世間も“金持ちの乱心”にはさも驚いたような顔をするが、何不自由ない環境で育ち「恵まれていると見なされる」人物が、いつの間にやら狂ってしまうことなど、今の日本の権力者たちを見れば大して珍しくもないだろう。
それどころか、野山を駈け海川に親しんで育った「自然や生き物を慈しむはずの」世代の連中が、長じてから当然のように原発推進を唱える症例すらザラにあるのだから。
岡山県倉敷市の小5女児誘拐監禁事件は、行方不明から5日ぶりに女児が保護され、49歳の男が逮捕された。犯人は「少女を自分好みに育て、将来は結婚したかった」などと動機を語ったそうである。
中世ヨーロッパの森の奥ならいざ知らず、この監視時代の町なかでそんなことできるはずが……と思えるが、認知症高齢者の失踪問題などを考えれば、あながち不可能とも言い切れないだろう。現代人は、自分に直接的な利害関係がない人間のことなど、実はほとんど「見えていない」からだ。
昨今、ストーカー被害が増え続けている。警察に寄せられた相談は昨年初めて2万件を突破、過去最悪を記録した。
「携帯電話やインターネットの普及で、相手への感情を断ち切りにくくなった上、相手を監視・拘束しやすい状況が整ったことが、ストーカー増加の背景にある」――こんな風に分析される、いかにも今日的な社会現象。相手の気持ちが「見えていない」まま、我が思いだけを正当化して一方的に押しつけたがるストーカー心理は、紛れもなく病的なものである。
ただ、「加害者」に言わせれば、とても納得のいかぬ「一方的な」理由や方法で「被害者」に去られたケースも中には恐らくあるだろう。そんな理不尽なケースについて何ら勘案することなく、マスコミも世間も「ストーカー側が一方的に悪い」との目線だけで断じようとするが、そういった目線もまた充分に「一方的な」ものである。
この夏、NHK Eテレ『知の巨人たち』というシリーズで、戦後日本を代表する政治学者・丸山眞男氏が取り上げられた。
大学で教鞭をとる傍ら、一般市民を対象にした日本各地での勉強会へも精力的に赴き、民主主義を語り続けた丸山氏。番組では、本人が遺した膨大な言葉や門下生たちによるコメントから、民主主義に関する“丸山思想”の要諦を浮かび上がらせていた。
〈この世に完全な理想が実現することはあり得ない。しかし、理想と現状を照らし合わせておかしな現状を批判するところに「理想」の意義がある。同様に、民主主義が完成する国など世界中のどこにもないし、将来も永久にないが、完成形の民主主義に向けて「民主化」を続けていく姿勢こそが、民主主義への《永久革命》なのだ〉
〈民主主義とは、一人ひとりが主権者として発言できることであり、そのためにはお互いが対話し、理解し合わなければならない。そしてそこでは、少数者や不利な立場の人の身になってものを見るという《他者感覚》が、是非とも必要になってくる〉
丸山氏が亡くなる前年('95年)の暮れ、教え子たちの前でなされた「最後のスピーチ」は、以下のようなものだった。
「何か日本はおかしいところがある。(今年)いちばん世間を騒がせたのはオウム真理教ですね。あれが非常に変わったもの、自分たちと縁がない、どうしてあんなのが生まれたのかと思う方が少なくないようですけど、私は他人事と思えません。
一言にして言えば、私の青年時代、日本中がオウム真理教だったのではないか。そうすると非常によく思い当たる。一歩日本の外へ出れば全然通じない理屈が、日本の中でだけ堂々と通用していて、それ以外の議論は耳にもしないし問題にしない。
(要は)他者感覚のなさということなんです。他者がいないんです、同じ仲間とばかり話してますから。その怖さです」
もちろん、これは必ずしも日本だけに限った話ではないだろう。が、丸山氏の青年期にさえ既に感じられていたという「他者感覚のなさ」は、彼の没後も悪化の一途を辿り、いまや他人にぶつかっても平気でいられる「歩きスマホ」の大量発生で底を打った感がある。
そしてそういう社会では、民意も国際世論もまるで意に介さない「他者感覚ゼロ」の政権が、いまだに我が物顔で「独り歩き」しているようだ。
パレスチナ自治区ガザで、イスラエル軍の空爆により死亡した妊婦から帝王切開で生まれた女児が、合併症、および治療を受けていた集中治療室の停電のため、生後わずか一週間で母のもとへと旅立った。
この少女は、今からちょうど百年前の夏に開戦した第一次世界大戦の直接被害者だとも言える。大戦での必勝を期したイギリスが、アラブ・ユダヤ両民族から戦争協力を取りつけるべく双方の独立・建国を認めた「二重外交」が、今日にまで至るパレスチナ問題の直接的原因であるからだ。
近隣国と戦争したくて仕方ない我らが首相は、今から百年後の少女の生命にすら影響を及ぼし得ることを、「積極的平和主義」とやらに根ざした自らの〈永久革命〉の一環と捉えているかもしれない。〈他者感覚〉なき独裁者に遂行できる「革命」などこの世には皆無であることを、“いつの間にやら狂ってしまった”御仁が知る由もないのだから。
ただし、殺される側の少女からすれば、独り善がりな亡者の影は“一世紀越しのストーカー”にしか見えないはずである。
'14.夏 東雲 晨