プロボクシングで一時代を築いた元世界2階級王者・長谷川穂積選手が、この春に事実上引退した(5月末時点で正式には未表明)。4月23日のIBF世界スーパーバンタム級タイトルマッチ敗退を受けたものである。世界3階級制覇を賭け、自らの「集大成」として3年ぶりに世界王座へと挑んだ結果は、真っ向から打ち合いを展開した末の「美しき完敗」であった。

 もともと、無類のスピードとテクニックを持ちながら「地味な勝ち方に徹するボクサー」だった長谷川選手は、王座に就いた頃からファイトスタイルを一変させ、「KOするボクシング」に磨きをかけていく。「チャンピオンたる者、ファンに面白い試合を観せなければ」との美意識は、己のみならずボクシングという競技自体の矜恃をも守ろうとするものだろう。自分のパフォーマンスに「美しさ」を求め、そのために飽くなき向上を続ける――最近の若いアスリートでは、米大リーグのダルビッシュ有投手や体操の内村航平選手などにも通じる姿勢だが、実際、WBC世界バンタム級王者時代の長谷川選手は5年間で10度の防衛に成功、そのうち7度をKO勝利で飾ったのだ。
 彼のラストマッチとなった一戦は、相手のパンチを外す練習を重ねて臨んだものの、いざ蓋を開ければやはり“王者らしい”殴り合いに身を投じることとなる。「“美しいボクシング”で勝てなくなった時が引き際」と決めていたに違いない“絶対王者”は、この夜のTKO負けで気持ちよく燃え尽きたことだろう。

 数年前、テレビ番組で「本物の“強さ”とは何か」と問われ、長谷川選手はこう答えた。
 「強さ=優しさだとは思うんでね。試合が終わって相手をたたえられない人間なんて、そのうちすぐ負けますよ。ボクシングがむちゃくちゃ強いし、周りに対してもむちゃくちゃ優しい奴って、ほんまに強い奴やなと思うんです。強い優しさを持っている、思いやる気持ちが強い奴が、“強い奴”じゃないですかね」
 この場合の「強さ=優しさ」は、加えてイコール「美しさ」でもあったはずである。


 長谷川選手が燃え尽きる一ヶ月ほど前、同じ「ボクサー」の元・死刑囚が晴れて自由の身となった。
 静岡県清水市(現・静岡市清水区)で起きた48年前の強盗殺人事件について、静岡地裁は3月27日、被告である袴田巌さんの再審開始と釈放を決定した。袴田さんを犯人に仕立て上げようとする警察の「悪意のシナリオ」に基づいた自白強要や、静岡地裁・村山浩昭裁判長が「捏造された疑いを生じさせる」と述べた検察側の提出証拠が、全面的に糾弾された訳である。

 罪なき被告に有利な証拠の数々を検察が匿してきたことで、実に半世紀近くもの拘禁生活を押しつけた今回の件は、取調べの可視化や迅速な証拠開示の必要性を再認識させたが、同時に「死刑制度」や「死刑囚」という在り方を改めて考える契機も与えてくれた。
 いつ刑場に呼ばれるかもしれない状態に、何年も、何十年も怯え続ける――無辜の人間が味わうとしたら途方もなく苛酷な「死刑囚の日々」は、実際に大罪を犯した人間においては「至極当然の報い」なのか。
 「人は変わる可能性がある」とはいえ、死刑判決を下されるほどの「限度を超えた重罪」を犯してしまった人間は、いかに後から改心しようが命をもって償うしかない、という見方もあるだろう(生かしておく分の税金が無駄だ、という冷淡極まる議論も含めて)。しかし現実として、死刑制度が凶悪犯罪の抑止効果に乏しいばかりでなく、犯人抹殺に賭ける「復讐心」が被害者遺族の品性を蝕み、しかも復讐完遂がほんの刹那の愉悦しかもたらさないとしたら、死刑とは「権力による密殺」という“ただただ陰湿で威圧的なシロモノ”でしかない、「誰のためにもならない」ものだとも言える。そして、「いったん最悪な行いをした者は絶対的に赦されない」との発想は、「ボクサー上がりは凶暴だから人も殺すに決まっている」という往時の警察の固定観念と、何やら似通っているのではないだろうか。

 ともあれ、袴田さんへの拘置停止決定にあたり、村山裁判長は「これ以上拘置するのは耐え難いほど正義に反する」と表現した。近頃やたら空々しく用いられる「正義」という言葉が、久しぶりに厳粛な響きを湛えた瞬間である。
 もちろん、取り返しのつかない一市民の人生を半世紀にわたって強奪した司法の罪は到底贖(あがな)えるものでなく、また昨今の司法の腐敗ぶりをその程度で一気に相殺できるはずもない。だが、三権分立を蔑(ないがし)ろにして憲法解釈を捻じ曲げ、集団的自衛権の行使容認に独走しようとする現政権への「ささやかな逆襲」も込めて、司法が繰り出した「美しい社会正義」の一端は、やはり相応に評価されるべきであろう。


 「袴田事件」が起きる一世紀ほど前、同じ清水の地で「咸臨丸事件」が勃発した。
 1868年(明治元年)、徳川幕府の軍艦だった「咸臨丸」が清水港内で新政府軍の攻撃を受け沈没する。乗員たちの屍は逆賊として駿河湾に放置されるが、そこへ地元の侠客・清水次郎長が現れ、遺体を収容し手厚く葬った。この行為を新政府軍に咎められた次郎長は「死んでしまえばみな仏、仏に官軍も賊軍もない」と突っぱね、旧幕臣の山岡鉄舟から深く感謝されたのを機に二人の交流が始まったという。

 小説や浪曲、映画やドラマで幾度も語り継がれてきた、清水次郎長こと山本長五郎の一代記。その中で躍動する、「気っ風のよさと人望の厚さで多くの子分に慕われる、次郎長一家の大親分」という姿は、彼が“海道一の親分”として伸し上がる前半生しか描いていないうえ多分に美化された虚像であり、その実態は「血で血を洗う抗争に明け暮れる、残虐非道な荒くれヤクザ」だったとされる。
 そんな次郎長が、江戸城の無血開城の立役者でありながら表立って功績を主張せず、西郷隆盛をして「命も名も金もいらぬ奴は始末に困る」と言わしめた「無私無我の人」山岡鉄舟から、咸臨丸事件に際して“大人物の片鱗”を見出され親交を深めていったことにより、一介のアウトローから社会事業家へと大変貌を遂げたのだ。富士山麓の開墾、海運会社の設立、油田採掘、英語塾……結果として多くは失敗に終わるが、明治維新後の次郎長は、自身や一家のためだけでなく「世の中全体のために」時代を駆け抜けた訳である。
 そういった知られざる後半生の「美しさ」を、「ストーリー映えする前半生」に被せて創られた数々の「次郎長もの」は、彼の生涯全体で見ればあながち虚像とばかりも言えない「美しい大衆娯楽」と称されるべきではないだろうか。そう、「人は変わり得る」という重大な実例が織り込まれている点も含めて。
 ただし、表向きに言い伝えられてきた次郎長像のみを知る、つまり虚構としての前半生のみを知る多くの人々には、その辺りの機微が分からぬままになってしまうが、そこには「わが人生の実像など、“知る人ぞ知る”ものでいい」という、いかにも山岡鉄舟と互いを高め合った清水次郎長らしい「無私の美学」が滲んでいるように思えてならない。


 さて……長谷川穂積選手が燃え尽きたちょうどその夜、われらが首相と「いわゆる首脳会談」を行うべく、「とある国賓」が来日した。
 片や、ボールとストライクがハッキリし過ぎるノーコン投手のごとく、笑顔と強面の差が記号みたいに分かりやすいダイコン役者の大統領、もう片や、彼との親密さを強調するべくファーストネームで連呼しては「馴れ馴れしいぞ」とばかりにソッポを向かれる間抜けな首相。中間選挙への点数稼ぎに必死な前者と、“妄念性ファミリービジネス”に憑かれた後者による、国民のためでも何でもない“ただの極私的取り引き”には、その底をどこまで深く掘り探ろうと「美しさの片鱗」すら見当たらない。
 強い優しさ、思いやる気持ち……そんな世界の対極にいる御両名は、その「美しくなさ」が禍して「そのうちすぐ負ける」ことになるのだろう。もちろん、本人や家族のためだけでなく、世の中全体のために。


 「美しさ」とは、かくも崇高で得難いものだが、クラシック音楽の世界にこんな言い回しがあるという。
 《モーツァルトの名曲群は、楽譜にしても美しい。》
 ある意味で、「美しさ」というものの核心をついた言葉ではないか。


'14.春  東雲 晨





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