元南アフリカ大統領ネルソン・マンデラ氏、95歳にて永眠。今さらその偉業について語るまでもない「不滅の英雄」が斃れる傍らで、わが国の“似ても似つかぬ”権力者どもは特定秘密保護法とやらを強行成立させた。
 その数日前、自民党幹事長が自らのブログに記した「絶叫デモはテロと同じ」なる暴言は当然ながら袋叩きにあい、さらにその前日には、首相が読売新聞本社ビルの竣工パーティーで「渡辺会長の部屋がどこにあるかは読売新聞の特定秘密」などと軽口を叩いて間抜けさの健在っぷりを示した。
 そんな風な“セキュリティ意識の甘い”連中に「秘密」の「保護」などできるものなら、是非ともやって見せていただきたいものである。

 '00年代のフランス映画に、元警察官が実話に基づいて監督・脚本を手がけた「刑事三部作」がある。『あるいは裏切りという名の犬』('04)、『やがて復讐という名の雨』('08)、『いずれ絶望という名の闇』('09)。そこに描かれるパリ警察の腐敗した内幕は、日本の国家権力や官僚機構と何ら変わるものではない。秘密の隠蔽、上からの圧力、はたまた尽きせぬ権力欲……。陥れられた刑事による組織への叛逆や、警察と裏社会との終わりなき抗争を軸に、救いのない物語はひたすら重苦しいトーンで進められていく。
 なお、第一作の『あるいは裏切りという名の犬』は、ロバート・デ・ニーロとジョージ・クルーニー主演によるリメイクが予定されているという。もしもそれが実現したら、オリジナルの味わいを残しつつも軽快な華やぎに彩られた、ハリウッドならではの映像世界が陽の目を浴びることだろう。「渋さや深みを追い求めてこそ、フランスの誇るフィルム・ノワール」と言ってしまえばそれまでだが、暗い題材を暗いまま差し出すのでなく、あえてカラッと晴れやかなエンターテインメントへと変換できる辺りに、「いかにもアメリカ」な多層性が窺える。
 そういえば、こちらも実話を基にした『インビクタス 負けざる者たち』('09)というアメリカ映画では、マンデラ氏の民族融和政策がテーマに据えられている。南アフリカ代表のラグビーチームを黒人と白人の和解・団結のシンボルに掲げ、自国開催のワールドカップで優勝させようとするマンデラ新大統領。緻密でしたたかな計算のもと、「アパルトヘイトへの復讐でなく、赦しと寛容こそが最大の武器」を信念に、新しい国づくりを進める政治手腕は敬服すべきものである。
 監督・製作がクリント・イーストウッド、主演はモーガン・フリーマン(製作総指揮も)、マット・デイモンというこの映画、マンデラ氏やキャスト、スタッフの人気に負っているのは疑いないところだし、またマンデラ氏の問題点に触れることなく美化し過ぎているとの指摘も当たっているだろう。とはいえ、自国存在の根幹にある「人種差別」という重大問題を批判的に提起する(それも共和党支持者のイーストウッドが、である)社会派の作品が商業娯楽映画として流通し、なおかつ興行面でも成功を収められるところが「アメリカなるものの厚み」であり、そこを一切無視して「粗暴で強欲で冷徹なアメリカ」といった分かりやすい“一面の真理”だけを捉え強調するような輩は、自らの眼の“フィルターの粗さ”を露呈するばかりか、日本の政治家たちの「ある屈折した野望」に知らぬ間に資しているかもしれない。

 原発、普天間、TPP……日本政府の亡国的な対米追従政策は、まるで狙っているかのようにアメリカの負の部分だけを日本人に印象づけ、「日本の惨状はすべてアメリカのせい」との演出を徹底的なものにしようとする。
 思想家・内田樹氏は、沖縄の基地問題が解決しない理由について、こんな見解を述べている。「日本は戦後、国防構想の全てをアメリカに丸投げしてきたため、今になってアメリカが日本に国防上の主権を戻してもそれを行使できる人間がいない。だから『アメリカには沖縄にいてもらうしかない』というのが、日本政府の本音である」。
 これが国防にとどまらず日米関係全般において正鵠を射た見解だとしたら、日本政府の「本音」の続きはこういったところか。「日本をアメリカ抜きでは成り立たない国にしてしまい、そんな酷い形で我々にバトンを渡した先人たちは断じて赦すことができない。こうなったら、アメリカの奴隷たる穢らわしい『現実の日本』など一刻も早く滅ぼし、我々の内にのみ存在する『理想の日本』を神のごとく崇めることで、わが正当で気高い愛国心に絶対的な価値を与えよう」。さらに返す刀で「日本を隷属させ続ける『憎きアメリカ』にも、悪の象徴として絶対的な汚名を与えよう」。
 ほかの男に奪われた女を殺して永遠に我がものに――そんなストーカー心理にも通じる病的執着が、現政権による理解不能な暴走を強く動機づけているのではないか。現実世界で祖国再建に精魂を注いだマンデラ氏のそれとは“似ても似つかぬ”、空想世界に塗り込められた「自称・正当で気高い愛国心」を神聖化するため、目の前の邪魔な日米双方を堕としにかかっていると説明できはしないだろうか。
 しかしながら、歪んだ信仰心から生まれる所業は、あちらこちらに狂いを来たす。戦後レジームからの脱却と称して「押しつけ憲法」の“改正”を叫んでは「憲法を押しつけた」側であるアメリカから不信感を買い、アメリカの意向を忖度して成立を急いだはずの特定秘密保護法にすら「人々の知る権利を弱める」「政府はあらゆる不都合な情報を秘密指定できるようになる」(ニューヨーク・タイムズ紙の社説より)との疑義が呈された。わざわざアメリカの良識を引き出すような日本政府のオーバーランは、結果的にアメリカの「好感度」を上げるのみならず日本国民の「反発力」をも昂揚させることになり、つまりその時点で彼らの企みは脆くも破綻しているのだ。

 先述した『インビクタス 負けざる者たち』の劇中で、「我が運命を決めるのは我なり、我が魂を制するのは我なり」という、19世紀イギリスの詩人ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩「インビクタス」の一節を、マンデラ氏は繰り返し口ずさむ。自らの画策した「確信犯罪」をも破壊衝動に負けて遂行しきれないような“セルフコントロールの甘い”連中に、「秘密」の「保護」などできるものなら是非ともやって見せていただきたいものである。
 そして、そんな“暗すぎる倒錯”に裏づけられた日米同盟なる「悲劇」でさえも、ハリウッドの手にかかれば鮮やかなエンターテインメント作品に仕上がるのだろうか。


'13-'14.冬  東雲 晨





inserted by FC2 system