あれ? ここはどこだ、もしや私は死んだのか?
 そうか……反米左派の急先鋒として、母国のみならず南米全体を牽引してきたベネズエラ大統領のこの私も、残念ながら病には勝てなかったようだな。

 産油国として得た豊富なオイルマネーを背景に、貧困層への教育・福祉・医療を充実させる「21世紀型社会主義」政策を展開し、またキューバなど周辺友好国にも惜しみない経済援助を行なってきた。結果、民衆から絶大な人気を集めた私は、その名・チャべスに因んで「チャビスタ」と呼ばれる多くの熱狂的支持者を生み出したものだ。
 しかし反面、化石燃料収入を改革の原資にするという、地球環境保護の観点からは決して感心できない基本方策や、アメリカの覇権主義、新自由主義に反発するあまり、中国、ロシアといったキナ臭い強権国家、さらに核の危うさがプンプンにおうイランとまで友好関係を結んだ外交戦略について、「なりふり構わないにもほどがある」との非難も浴びた。確かにそれは認めざるを得ないが、私の年代や軍人出身という経歴からすればいずれも精一杯の手法だし、そもそも一人の指導者がさしたる瑕疵もなく理想の政治を遂行することなど現実的に不可能なのだ、ということを多少なりとも理解してほしい。

 ところで、わが目の仇・アメリカの本質を表すアイテムのひとつに、遺伝子組み換え作物(GMO)がある。
 アメリカに本拠を置く多国籍バイオ化学企業・モンサント社は、自社製の除草剤とそれへの耐性を持つGMO種子とをセットで農家に売りつける。「この種子を栽培すれば、除草剤の使用量を大幅に減らせます」との甘言を弄して。だが、実際にはGMO種子の除草剤耐性がほどなく雑草にも転移するので、除草剤使用量はむしろ増えることになる。しかも特許契約上、農家は種子を自家採取できないため、いったんモンサント社から種子を買えば翌年以降も買い続けるしかなくなる。つまり、その農家が永久に「モンサントの奴隷」と化すよう最初から仕組まれているのだ。
 GMOについて、イギリスの環境運動家アンディ・リーズ氏が、著書『遺伝子組み換え食品の真実』で端的に述べている。
 「遺伝子組み換え技術は、人間の健康を害し、環境と農業に災いをもたらす可能性がある。しかもその結果、一握りの企業が、私たちの食料となる種子の特許料で貪欲に利益を上げ、さらに世界中の食料の生産と流通を支配することになるのだ」
 そう、利益欲もさることながら、奴らの本質は「支配欲」にある。それも「自分たちの正義が世界中を幸せにする」との妄信から生まれる“病んだ支配欲”。もし、それが遺伝によるものだとしたら、奴らの“遺伝子”こそ“組み換え”てやらねばならないだろう。

 そういえば、GMOによる本格的な侵食も懸念される環太平洋連携協定(TPP)への交渉参加を、日本が正式に表明してしまったそうだな。農業や医療など様々な分野に壊滅的な打撃が与えられること必至、しかも、もともと低い日本の食料自給率が、安価な外来農産物に駆逐されてもっと低くなった挙句、近年の世界的な干ばつで食料輸入にストップがかかったら……誰が見ても危険極まりないアメリカ主導の枠組みに、わざわざ出遅れてまで参入するなど、私には到底考えられない国辱的愚行だ。
 交渉参加表明にあたり、「すでに合意されたルールがあれば、遅れて参加した日本がひっくり返すことが難しいのは厳然たる事実だ」と認めつつ「それでも日本の農業や食の安全を全力で守ると約束する」などと支離滅裂なことを言う人物を、違憲選挙によってトップに戴く国民はさぞかし怒っているかと思いきや、そんな内閣の支持率がいやに高いというではないか。まぁ支持率などというものは大手メディアの操作ひとつで何とでもなるだろうけれど、憂慮すべきはTPP賛成派の在り様だ。彼らの主たる言い分は……「世界に売れる農産物をつくる」「新しいビジネスチャンスが生まれる」。保護に甘える「怠慢農家」も確かに少なくないとはいえ、すべてを冷徹な商業論理にさらし、ごく一部の強い者だけが恩恵を受ければいいという発想は、原発・基地容認論にも通じるいかにもアメリカ的、新自由主義的なものながら、そこに悪気や邪気がなく、「それが正義であり国益である」と本気で信じ込む“病んだ遺伝子”まで組み込まれているとしたら、日本にとって実に末期的な症状だ。

 それにしても、身の周りの犯罪や中・韓・北朝鮮など「見えやすい敵」に対する日本人の危機意識は異様に高まる一方で、もっと根深く巨大な「見えにくい敵」への警戒心が著しく低いのは、よく言われるアジア蔑視の表れなのか、それとも単に想像力が足りないだけか。
 強者への飽くなき盲従、政治や社会への無関心、あるいは現世への諦念……いろんな国民性が「日米同盟」とやらを支えているようだが、「慣れ親しんだやり方を変えたくない」という保守性もまた大きいのではないか。つまり、いまの日本の成人たちは、物心ついた頃からアメリカにベッタリと頼り切っており、その「習い性」を今さら改めるのに途方もない抵抗がある、と。
 だとしたら、恰好の「訣別方法」がひとつある。アメリカが今よりもっと凋落し、もはや頼りようがないくらいの弱小国になってから生まれた世代が日本社会の中核を担う頃まで待つことだ。どうだね、気の遠くなるほど悠長な話だろう? それに、現状のままでいけば、そんな頃にはアメリカに替わる「新しい支配者」に手もなく捻じ伏せられてるさ。

 領土問題のように、現時点でどうしても妙案が見当たらない問題を取りあえず「棚上げ」するのが有効なケースもある。しかし、いまや落ち目に拍車がかかるアメリカごときの支配を何も考えないまま許し続ければ、食料分野にとどまらない「全面破滅」が、いずれ確実に待ち構えている。 
 いいかね、ここら辺りが立ち上がるべきラストチャンスだ。たとえ国民の多くが黙っていようと、君が立ち上がれば後に続く者はきっと何人も現れるはずだよ。
 我が肉体は天に召されてしまったが、ラテンアメリカ解放の父、シモン・ボリバルから私が受け継いだ「改革への魂」は、世界中の、もちろん日本の「チャビスタ」的存在たちにも刻みつけられているだろう。たとえ私のやり方や方向性に幾ばくか問題があったとしても、巨悪の支配から世界を解き放とうという大きな“遺伝子”そのものは、必ずや伝承されていくものと確信している。万が一、次世代の旗手たちが私のごとく志半ばで斃れたなら、さらに次世代の担い手が引き継いでいけばいい。そうやって根気よくしたたかに闘い続けた末、いつか訪れるであろう輝かしき勝利の日まで、ベネズエラの空の上で私もしっかり共闘していくとしよう。

 「『人生』とは、自分ひとりの一生だけを指すものではない。親から子へ、そのまた子供へと命がつながっていく、その全体を称して『人生』と云うんだ」('88年、プエルトリコで刺殺された“哲学者レスラー” ブルーザー・ブロディの言葉より)


'13.春  東雲 晨





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