劇場映画およびVシネマで人気の『ミナミの帝王・難波金融伝』(原作・天王寺大)シリーズが、次回作で通算48作目となる。これは「同一俳優による最長寿シリーズ」として『男はつらいよ』のギネス記録に肩を並べる快挙である。竹内力扮する主人公・萬田銀次郎は、ある意味で新しい時代を映すヒーローだといえるだろう。
 大阪・なんばを拠点に暗躍する闇金融業者・萬田は、貸した金と高い利息をどんな手を使ってでも回収する非情さから“鬼の萬田”と恐れられる。たとえ相手が非力な人々であろうと容赦のない取り立てを敢行し恨みを買うが、最初から捨てゴマにする気で彼らにうまい儲け話を持ちかけて萬田から金を借りさせ、用済みとみるやバッサリ切り捨てた巨悪の存在を彼らの向こう側に見出すと、萬田は取り立てのターゲットをそちらに切り替える。彼は豊富な法律知識を駆使して巨悪の手口に法的な弱点を見つけ、それにつけ込んで大金を巻き上げる。その中から被害者たる人々に相応の金額を分配して最終的には感謝され、なおかつ自分は当初貸した金をはるかに凌ぐ額を持っていく。以上が基本的なシナリオのパターンである。
 せしめた金を独り占めするようだと先述の巨悪同様ただの強欲な人間にすぎず、逆に全額を他人に与えたりすれば嘘っぽい正義の味方となってしまう。いずれにしても陳腐で興醒めなキャラクターだが、萬田の手法はバブル期以前の日本で主流をなした「自分の利益を追求した結果、みんなに幸せをもたらす」という個人主義的な金儲けの仕方を踏襲したものである。ただし、かつてその方法には恩を着せたり人脈を広げたりして更なる金儲けにつなげようという狙いもあったが、萬田にそんな嗜好は見られない。彼の仕事はつねに一話限りで完結し、その一つ一つに取り組む様も金目当てというよりはむしろそれ自体を楽しんでいるかのようだ。
 ここに、金に対する旧来の見方とは根底的に異なった萬田のスタンスが浮き彫りとなる。つまり彼は、生活や贅沢のための手段としてでなく、「ワルを叩いて弱きを助け、なおかつ自身を高みに据える」というゲームを楽しむためのコマとして金を見ているのだ。しかも、そのゲームは彼にとって生き甲斐ともいうべき至高の道楽なのだろう。「この萬田銀次郎、ゼニにかけては一歩も退きまへんでぇ!」という決めゼリフには、金銭そのものへの拘泥にあらずその道楽に賭けた執念が篭っているのだと私は思う。
 バブルが弾けて以降、不況の深刻化に伴い日本人はいわゆる「お金で買えない幸せ」を求め出した。また、大企業神話や終身雇用制の崩壊にも煽られてか、収入よりもやり甲斐に重きを置いて職業を選ぶ若者が少しずつ増えてきている。ちょっと前では考えられなかった傾向である。ゼニカネというものが、長らく誇ってきた絶対的な求心力を失いつつあるのだ。萬田の道楽は、そんな当節に似つかわしい“新時代型マネーゲーム”の一形態とでもいえるのではないだろうか。
 また、このシリーズは裏社会の暗く冷たい現実を生々しく描いていながら、これまでの日本のアウトローものから拭い去れなかったドロドロした血腥さを感じさせず、むしろアッケラカンとした印象を撒き散らしている。舞台である大阪という街の開けっ広げな明るさもさることながら、やはり金に対する萬田の姿勢がそこにも大きく影響しているに違いない。
 劇中に、こんなセリフがある。すぐそこにまで迫り来る借金取りから今まさに逃亡しようとしている香具師が、手下のチンピラに吐いたセリフ……「ほんま、立てば借金、座れば家賃、夜逃げするにも電車賃やで!」。つまりは、世の中カネ、である。時空を超えた公理のごとく言い尽くされてきた言葉。しかし、萬田の口から出てくるとき、その言葉にはまったく新しい意味が吹き込まれているのだ。


'03.秋  東雲 晨





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