先日のアルジェリア人質事件には、正直なところ参ってしまった。アルジェリア政府がとった人質無視の強行作戦を、われわれ欧米諸国が黙認したのは、ある複雑な事情を抱えているからだ。

 もともと欧米は、資源や権益確保のためイスラム諸国に民主化を促す一方、それによってイスラム急進勢力が台頭した場合は彼らを抑え込むべく軍事政権に味方するという「二重基準」を敷いてきた。そのため、今回のアルジェリア政府のイスラム過激派制圧を、大っぴらに非難することができなかったのだ。とりわけ、アルジェリアの隣国マリに侵攻している元宗主国・フランスなどは、それを容認してくれているアルジェリア政府に強く出られるはずがなかった。
 しかも悪いことに、欧米も支援した民主化運動「アラブの春」によるリビアのカダフィ政権崩壊後、リビアから大量の武器が流出し、周辺の武装勢力の手に渡るという“象徴的なお膳立て”までできていた。結果、我々が敷いてきた二重基準の矛盾点を最も痛い形で突かれてしまった訳だ。
 そんな欧米諸国の厄介な常識から外れている日本政府は、人質の生命を軽んじたアルジェリア政府の強硬手段に不快感を表明したが、近隣国と戦争を始めたくてウズウズしているタカ派政権が「人命重視」とは、まったく笑わせてくれる。ちょうど、弱肉強食をうたう独裁市長が、体罰教師をつかまえて「勝利至上主義」と弾劾するようなものだ。もっとも、われわれ欧米人は大阪市長のことなど知る由もないはずだが。

 しかし、昨今のイスラム教徒たちの主義・信条など、およそ原形を留めていないのではないか? 今回の犯行グループは、フランス軍のマリ撤退とアメリカ拘束中のテロリスト解放を要求してきたが、この事件の首謀者は、つい最近まで所属していた組織内での権力抗争に敗れて組織を脱退した男だとも言われる。つまり、元々いた組織を見返すべく自分の力を誇示するために起こした行動だったのだ、と。もしそれが事実なら、何がジハードだ、何が“聖なる戦”だ、ごく個人的な嫉妬心や功名心にまみれた俗っぽさ丸出しの動機ではないか。
 テロリズムの土壌は貧困や格差への怨嗟であり、それらを鎮めない限りテロの連鎖は永続するというが、貧困や格差を世界からなくすことなど現実には不可能だし、もちろんそれを成し遂げる自信も到底われわれ欧米人のものではない。よって、この世からテロを葬るには、決して甘い顔など見せず、次々に繰り出されるテロリストたちをひたすら掃討し続ける他ないのだ。許せない暴力は力ずくで封じ込める、それが我々の生理……いや違った、我々の正義、そう、西側世界の誇るべき正義なのだから。
 ということで、今後も兇悪なテロリズムには断固たる態度で臨むことを約束しよう。われらが神の御加護のもとに――


 例のアルジェリア人質事件は、ほぼ完全な成功に終わったな。世界中に俺たちの脅威を知らしめることができたし、何よりも、あの出しゃばりのアメリカにほとんど口出しさせなかったのが全く愉快でたまらないぜ。
 そうそう、今年は『アルゴ』ってアメリカ映画がアカデミー賞にノミネートされてるそうじゃないか。1979年、テヘランで起きたアメリカ大使館人質事件で、ニセの映画製作をでっち上げての人質救出作戦が敢行された……そんな嘘みたいな実話を映画化したものなんだってな。たぶんアメリカは「アルジェリアでも自分たちに任せておけば、もっとうまく解決できたのに」なんて都合よく思い込み、ひどく悔しがってることだろう。その『アルゴ』、もともとの下馬評も高いようだが、今回の事件で存在感を示せなかったアメリカが、鬱憤を晴らすべくオスカーを授けて得意の自画自賛に酔い痴れる可能性がグッと増したかもしれないぞ。
 しかし、なんで俺たちイスラム過激派がアカデミー賞事情なんかにこうも詳しいんだろうな? まぁ、それはいいとしようか。

 ところで、俺たちが天然ガス施設を襲ったのは、いわゆる「先進国」へのこんなメッセージも込めてのことなんだよ。カネにものを言わせて、遠い外地までエネルギー資源を買い付けに行くような下品な真似はいい加減やめて、「己の庭」でエネルギーを賄う方法を少しは真剣に考えろよ、ってね。好戦的な俺たちが言うのも何だけど、そういう横着な心掛けが資源争奪戦争の呼び水になったりも今まで散々してきたんだからな。
 それにもうひとつ、是非とも言いたいことがある。シェールガス革命とやらに狂喜してるアメリカにしてもそうだが、化石資源の枯渇如何にかかわらず、ガスや石油や石炭みたいな、地球を痛めつけずには採掘できない地下資源にいつまでも頼るんじゃなく、“地球や自然に畏敬の念を払いつつ自然の恩恵を受けられる”ような、然るべき姿のエネルギー生成技術をそろそろ確立したらどうなんだ?

 しかし、今のキリスト教徒どもの主義・信条なんて、これっぽっちも原形を留めてないじゃないか。奴らの俺たちへの扱いを見てみろよ、「博愛主義」からはほど遠いだろう? なんせアイツら、右の頬を殴られたら左の頬も差し出すどころか、下手すりゃこっちが右頬を殴る前に向こうから殴って来そうな勢いだし。
 それに“あまねく愛を”なんて唱えてた割には、ずいぶん視野も狭くなったもんだ。ある患部への強引で局所的な治療による副作用が、別の部位にもっと深刻な病状を引き起こす……イタチごっこの対症療法に明け暮れる西洋医学よろしく、姑息な「テロリスト殲滅工作」なんかいくら進めたところで、テロの根は絶えないどころかますます強靭になるだけなんだよ。
 まぁそんなワケで、西側の傲岸不遜な世界観など、これからも徹底的に否定し尽くしてやるからな。そう、われらがアッラーは偉大なり――


 結局のところ、私たち人質の命については、誰にとっても「どうでもよかった」ということなのですね。
 あぁ、神も仏もないものか――


'12-'13.冬  東雲 晨





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