東京・六本木に、俺たちの国の大使館宿舎がある。その敷地内で、毎夏終わりに「コミュニティ・フレンドシップ・デー」って祭りが開かれるのを知ってるかい?
 会場に一歩足を踏み入れてくれれば、そこにはある種の「別天地」が広がってるはずさ。CCRやらイーグルスやら、粋なロック・ナンバーの生演奏をBGMに、陽光ふり注ぐ芝生のうえで味わうビールにBBQに屋台料理。日本の祭りにもそりゃあ独特の風情があるけど、底抜けに愉快な俺たちの祭りはちょっと「病みつき」になってしまうだろう。大人も子供も暑さを忘れ、会心の笑顔がそこらじゅうに弾けてるのを見れば、どれだけ楽しんでくれてるかよく分かるさ。そう、“楽しませる”ってことにかけちゃ、誰も俺たちには敵わないんだからな。
 みんな知ってるとおり、俺たちの国の内実は今やガタガタだし、また世界中からさんざん叩かれてもいる。とくに日本とは昔から色々あるけど、いくら国家間に問題が山積してようが、人はいつだって民間レベルでは仲よくできるもんなのさ。

 普天間飛行場へのオスプレイ配備に反対する沖縄県民大会があった9月9日、東京でもそれに連なる国会包囲デモが催されたそうだね。
 「未亡人製造機」とも揶揄されるオスプレイの配備はもちろんながら、在日米軍基地のほとんどが沖縄に集中してること自体そもそも大きな問題だし、また“日米安保上の事情”から基地を沖縄に置き続けるために「基地依存経済構造」が作られたなんていう酷い経緯もある。それに、米兵が沖縄で事件を起こしても日本の法律で裁けないってのは、無茶苦茶を通り越して呆れ果てた話だよ。でも大きな流れとしては、沖縄県民と米国軍人が現地で交流するうち、人間同士に友情めいた思いが芽生えるのは止められない自然現象さ。
 だいたい、世界中に散らばる米軍基地は国防費の大幅削減を受けて縮小されつつあり、米国のお偉いさん方の中には「冷戦が終わって久しい今、在沖海兵隊も普天間の代替基地も必要ない」って人すらいるのに、むしろ日本政府の側がそんな意見を受け入れないんだから、こっちとしてはどうしようもないだろう。その辺りもちゃんと見てる沖縄県民は、米国に対してよりも、米国の意向を先回りして過剰忖度し、自分たちと触れ合うこともないまま遠くから犠牲を押しつけようとする中央政府や本土の人間にこそ、腸(はらわた)が煮えくり返ってるんじゃないのか。
 何度も言うように、人は現場レベルではどうしたってフレンドリーになるし、俺たちの心情としては沖縄の人たちに連帯感じみた愛着すら感じる。その沖縄にだけ、本土や政府の連中が重荷を負わせようとしてるのを見ると、その重荷とやらを、岩国をはじめ日本全国に分散して負わせてやろうって気にもなるね。「それなら、いっそオスプレイ配備そのものをやめれば済む話じゃないか」って? いや、そういう訳にはいかないんだよ。なんせ、「アンタの荷物を全部持ってやるから、最後にこの俺を荷物ごとオンブしてくれよ」ってのが、俺たちアメリカのアメリカたるやり方だからな。

 しかし、フクシマの原発事故で日本人はついに目醒めたね。お上が抑圧する前に、自分たちの方から進んで抑圧されたがるような国民だったのが、今じゃあちこちでしょっちゅうデモをやらかしてるなんて、ちょっと信じられない変わりようだよ。
 でもその一方で、これほど日本をブッ壊した弱肉強食的な政策をいまだに叫ぶ爺さんや坊やが、反対運動の標的になるどころか相変わらず結構な人気を集めてるってのも、考えてみりゃ妙な話だよな。たぶん今は「原発反対」の一点だけでみんな一杯いっぱいなんだろうし、その辺がまだまだ“叛逆慣れ”してない国民の限界かもしれないけど、そこは時間が解決してくれるだろう、この調子で“叛逆”を続けていければ、ね。もちろん、そういう動きは大歓迎だし、応援を惜しまないぜ。俺たちの国だって、上の連中は日本よりもっと酷薄なうえ屈強だけど、それに抵抗する層の厚さもハンパじゃないからな。
 ただし、ひとつ忠告しておくと、日本の上層部にはいくら抵抗してもオーケーだが、調子に乗って矛先を俺たちの国に向けるのは感心しないぜ、それだけはやめといた方がいい。なんでかって? おいおい、そんなこと俺に言わせないでくれよ。俺たちアメリカがどういうもんかは、君たち日本人がいちばんよく分かってるだろう?

 まぁとにかく、言いたいのは「仲よくやろうよ」ってことさ。俺たちと仲よくしとけば大丈夫、何も問題ないから安心してほしい。そう、たとえ世界が何と言おうと、“楽しませる”ってことにかけちゃ、誰も俺たちには敵わないんだからな。
 だって、見たところ君たちの国は、どうもあんまり楽しくなさそうじゃないか?


'12.秋  東雲 晨





inserted by FC2 system