先日、元アメリカ大統領のジミー・カーター氏が、ジョージア州の自宅で東京新聞と会見した。スリーマイル島原発事故の原因究明と対策に取り組んだ大統領としても知られるカーター氏は、在任時に核燃料サイクル事業からの撤退を決断。福島第一原発事故の対応に追われる日本政府へ向けて、「国民の知る権利は非常に重要だ。不利な事実であっても公表しなければならない」と提言した。
 退任の後、紛争地域を調停する民間外交に努めるカーター氏は、若かりし日に海軍の原子力技術者として原子力施設で被曝した経験を持ち、福島事故の収束にあたる作業員らに「同情し、胸が痛む。彼らの勇気を称賛し、健康であることを祈る」と話した。こういう言動をざっと見渡せば、いかにも反原発の強い主張が匂い立つようである。
 ところが残念なことに、続けて彼はこんな見解をも述べている。「私は今でも、原発は将来的に重要な役割を担うことができると信じている。環境や石油枯渇問題への対策の面でも、とても安全で環境にやさしいエネルギーと考えるからだ。(中略)運転について明確な安全基準があり、現代化された設計と構造で政府がきっちりと監視していれば、原発は有効であると思う。地震を含めたあらゆる自然災害に備え、電気駆動や配管に依存しない原子炉の冷却システムを備えることだ」。
 原発を「クリーン・エネルギー」などと美化する現アメリカ大統領は論外として、「米大統領史上最も良識的な人物」の一人とされるカーター氏でさえも、“絶対悪中の絶対悪”である原発を基本的には容認するという、なんとも薄ら寒いオチ。あくまでも「科学信奉」から離れられないスタンスに、ある種の「アメリカン・リーダーの限界」が見て取れるということだろうか。

 従来のエネルギーから再生可能エネルギーへの転換を訴える、『第4の革命〜エネルギー・デモクラシー』というドイツ映画が、昨年末から日本でも公開されている。2010年にドイツで最も多く観られ、その後のドイツのエネルギー政策に影響を与えたドキュメンタリー映画である。
 エネルギー革命は農業、産業、ITに続く「革命」である、との意味がタイトルに込められた本作には、革命への巨大抵抗勢力に立ち向かう政治家や技術者、起業家や環境活動家が出演し、太陽光を中心とする自然エネルギー(風力、水力、地熱など)の可能性についてそれぞれの立場から論じていく。
 化石燃料や原子力とは異なり、太陽光や風や水は誰にでも無償で与えられる資源である。例えば従来の発電システムを太陽光発電システムに換えれば、初期投資は増えるものの電力コストがゼロなので、元を取るのにさほど時間はかからない。そして、それらのエネルギーを実用化するには、最先端テクノロジーが必要となる。
 アフリカ・マリ共和国のある集落では、開発者や技術者の指導のもと、学校や診療所にソーラーパネルを設置するプロジェクトが進められている。資源の欠乏および大量輸入から来る貧困に苦しめられてきた人々が、テクノロジーの助力により各自でエネルギーを生み出せれば、不公正な貧困から脱することができる。これなどは、「製油所や発電所が国家規模でエネルギーを供給していた今までの集中型システムを、家庭や農場が地域レベルで個別に供給する分散型システムに転換すべきだ」というエネルギー・シフトの好例でもあるだろう。
 映画の終盤には、バングラデシュのグラミン銀行元総裁、ムハマド・ユヌス氏が登場する。貧困層を対象とした低金利の無担保融資「マイクロクレジット」を主に農村で行い、借り手は800万人に上るが、そのグラミン銀行を主体にエネルギー分野などでも事業を展開するユヌス氏の言葉は、自然エネルギーの本質を温かくも的確に表している。「太陽も人材も、創造的なエネルギー源だ。貧しい人は、自分のエネルギーを活かせなかった人だ。この地球に生まれた人間はみな同じ、その無限の能力に差などない」。
 「経済」や「科学技術」は、人間の尊厳確立や個々人の自立・独立のために役立てるべきものである。経済大国や資源大国を潤すためではなく、そしてもちろん、原発や核兵器を開発するためでもなく。

 時代や地域を問わず、「売れる商品」とは往々にして低俗・粗悪なものである。現状の資本主義社会においては、そんな「商品を売る」ため、正常な人ならおよそ意に染まないような仕事を強いられる局面も多々あるだろう。いわば“心が燃えない”労働である。本質的価値に乏しいシゴト、さらには「世の中の劣化に手を貸すシゴト」に、やましさを抱えながら食うために仕方なく取り組むも、あるいは何の疑問も持たず嬉々として取り組むも、いずれにせよ実に不幸な話である。
 それに対して自然エネルギー・ビジネスは、紛れもなく「より良い社会づくりへの貢献が、真っ当な報酬にもつながる」という、いい意味で健全な活力を燃やせる労働市場だといえよう。再生可能(持続可能)エネルギーは、その開発・普及に携わることで人間のエネルギーをも「持続」的に「再生」させる――さらには、「集中型から分散型へ」のエネルギー革命が一極集中的な経済構造を覆し、“個人レベルで心を燃やす”ような生業形態がエネルギー以外の様々な分野にも広がっていくとしたら、それこそが「第4の革命」の最も“革命”的な部分だといえるのではないだろうか。
 もともと原発推進派だったメルケル首相が福島原発事故を機に路線変更し、2022年までの「脱原発」を閣議決定したドイツでは、かくも良質な映画がベストヒットを記録するという事実。しかも東日本大震災の勃発以前にこんな映画が制作・公開されていたという事実に、震災を経てようやく原発やエネルギーを考え始めた我々などは、ただただ脱帽するしかない。

 古来、人類は日の出とともに目覚め、日の入りを追って眠りに落ちた。しかし、都市文明なるものは“月の時間帯”をじわじわと侵食し、あたかも闇を切り開き支配するのが進歩であるかのような「爛(ただ)れた時代」が長らく続く。
 そして、今――太陽は、その明朗性や神格性にとどまらぬ“現実的な存在感”を、新たに満天下へと知らしめ始めたのだ。


'11-'12.冬  東雲 晨





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