年末年始恒例の全国高校ラグビー大会、今回は劇的な「両校優勝」で幕を閉じた。
 連覇のかかった東福岡高校(福岡)に初優勝を狙う桐蔭学園高校(神奈川)という、昨年と同じ顔合わせの決勝戦。近年の圧倒的な強さから「絶対王者」と称される東福岡の優位が予想されたものの、試合前半は桐蔭バックス陣が素早い展開ラグビーで得点を重ね、後半開始早々にもトライ&ゴールを決めて最大21点のリードを奪う。だが、そこから東福岡の重量フォワードが機能し始めて徐々に追い上げ、試合終了間際に同点のトライ&ゴール、そのまま引き分けて両校優勝へと持ち込んだ。ノーサイドの笛が鳴った直後の、両校選手たちの拍子抜けしたような表情も含めて、なんとも「絵になる」一戦であった。
 前半の東福岡は、桐蔭のスピードに明らかに翻弄され、ボールが手についていないような王者らしからぬミスも目立った。かと思えば、致命的とも感じられる得点差をつけられてから見せた、じつに余裕綽々たる逆襲。「ミスを連発する浮き足立った姿」を責めることも「その分のビハインドをしっかり取り返す底力」を讃えることもできるだろう。だがいずれにせよ、そこには「我々が楽しくラグビーすれば負けるはずはない」という確信が、ガッチリと根を張っていた。

 その東福岡高校が、前回大会の県予選で優勝するまでを描くテレビドキュメンタリー作品『未来へのノーサイド』は、JNN九州・沖縄地区のドキュメンタリー番組『ムーブ』で年間大賞に輝いた。
 東福岡ラグビー部を率いる谷崎重幸監督は、選手たちの自主性や主体性を尊重し、ラグビーを楽しませるという指導法で、同校を常勝軍団へと鍛え上げた。彼もかつては勝利という結果のみを求める「スパルタ監督」だったが、妻を38歳の若さで亡くした際、ふと考え込んでしまう。「ラグビーに没頭する自分をただ支えるだけだった妻は、果たして人生を楽しめたのだろうか?」
 これを機に休職し、ニュージーランドへコーチ留学。そこで本場のラガーマンたちが心からラグビーを楽しんでいる姿を見た彼は、ガラリと自分を変えることになる。「勝ちだけにこだわらず、試合のプロセスを楽しむラグビーを教えよう。上から指図するのでなく、選手が自分たちで考え実行できる環境を作ろう」。
 県予選の決勝戦、相手はライバルの筑紫高校。そこで指揮を執る西村寛久監督は、かつての谷崎監督同様、熱血スパルタ指導で知られている。試合は東福岡が勝ち、そのまま全国制覇へと突き進むわけだが、番組内でインタビューに応える彼の言葉が谷崎監督の偉大さを端的に表していた。「谷崎さんのような指揮官になれれば当然それに越したことはないと思うが、ああいった指導方法はスパルタ指導よりも遥かに忍耐を要するし、少なくとも自分にはとても真似ができない」。

 なお、この作品と票を分け合った末、僅差で準大賞作に選ばれたのが『ひとりじゃないよ』。不況による収入減や持病の悪化に悩む一人の50代ホームレス男性が、NPO法人の助力を得て生活保護を受給するまでの姿を追うもので、生活保護を申請してから受給に至るまでの様々な手続き上の困難を示しつつ、孤立しがちなホームレスの現状や彼らの自立へ向けた福祉の課題などに迫る、こちらも鋭い批評眼を携えた作品である。
 特筆すべきは、ラスト近くのこんな場面。「これまでに自殺を考えたこともあるが……自分を産み育ててくれた亡母の気持ちを想うと、それだけはどうしてもできなかった……」。自らのテントの前で訥々(とつとつ)と、途中からは涙ぐみながら語り続ける男性の顔のアップを、何の演出も施さぬまま延々とノーカットで流す映像には、見る者の心を揺さぶらずにおかないインパクトが満ち溢れていた。
 『未来へのノーサイド』と『ひとりじゃないよ』。ともにどちらが大賞を獲ってもおかしくない力作であり、むしろテーマの深刻さや切実さで上回る後者を推す声が高いかとも思えたが、貧困問題を通して描かれた「現在の日本の厳しい実情」よりも、スポーツ教育を通して描かれた「未来の日本への発展的な提言」を上位に据えた審査結果からは、最大級の“前進性とスケール感”が見てとれる。そして、両作品とも九州の別々の地方局に所属する若手アナウンサーによって取材・制作されたという点が、さらなる興味をかき立てる。

 昨年のプロ野球は、西村徳文という“古いタイプの”新任監督のもと、パ・リーグ3位の千葉ロッテマリーンズが「いき過ぎた敗者復活ルール」にも救われ5年ぶりに日本一の座を奪還した。
 前監督のボビー・バレンタイン氏は、「選手の自主性に任せた、やる側も観る側も楽しめる野球」を標榜して1995年に初めてマリーンズの指揮を執り、“常敗ロッテ”をリーグ2位へと押し上げながら球団との確執により1年で解任されるも、2004年に再び監督就任。2年目にチームを31年ぶりの日本一へと導くが、その後は優勝に届かず2009年限りでまたも解任。結局、彼の掲げる「高度な野球」がチームに浸透したとはいえないままの訣別だった。
 第2次政権の終盤は、独断的な采配で選手や球団に煙たがられたキライもあるが、そこには選手たちの「自主性」がなかなか育たないことへの苛立ちも滲んでいたのではないか。毎年メンバーが替わる高校のチームで出来ることが、プロ野球ではバレンタイン監督在籍6年間で成就しなかったという現実。やはり、大人になっては時すでに遅し――つまり、旧態依然たる「指示待ち方式」で育ってきた選手たちがプロになってからでは、もはや革新的なやり方など受け入れることができないのか。それとも、もっとじっくり時間をかけていれば、マリーンズはプロ野球版の「絶対王者チーム」に仕上がっていたのだろうか。

 ところで、あくまでも「概して」だが、一般人気の高い(つまり「ゼニになる」)スポーツよりも、そうでないスポーツの選手の方が、取り組む姿勢が真摯に見える面がある。また前者のスポーツにおいても、プロよりはアマチュアの選手に比較的その傾向が強く見られる。さらにはアマチュアでも、例えば甲子園を熱くした高校球児に「プロ入りの影」が忍び寄った途端、風景は興醒めするほど嘘くさくなり、イヤな濁りに呑み込まれていく――。
 「カネは汚いものである」という幼稚な結論でしめるのは容易いが、それほど単純なものでもないだろう。カネが絡むこと自体が問題なのではなく、そこはやはり、カネとの関わり方、距離のとり方における“成熟度”の問題ではないだろうか。「カネ」と「メディア」は使いよう――我々を殺しも生かしもするし、また我々に殺されも生かされもする、そんな厄介な怪物たちの“使いよう”を、そろそろ本格的にマスターすべき時代が来ている。


'10-'11.冬  東雲 晨





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