米・ハーバード大学で空前の履修者数を誇る講義が話題になっている。マイケル・サンデル教授による政治哲学の講義は、あまりの人気ぶりに大学史上初めてテレビでの公開に踏み切られ、日本でも『ハーバード白熱教室』(NHK)という番組で合計24コマ分の授業が放送された。また、この授業を本にした『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房)は、哲学書としては異例のベストセラーを記録している。今の日本で硬い哲学書が売れるとは俄かに信じがたい話だが、たとえ一時的なブームだとしても、そういったものを求める「朧(おぼろ)げな気分」くらいは確かに存在するのだろう。
 「正義」「公正」「道徳」といった一見“ベタ”なキーワードを軸に、学生たちとの対話形式で展開される講義。カントやロックなど過去の哲学者の理論を交えながら、「飢えた家族のための盗みは許されるか」「金持ちから高い税を取るのは正しいか」といった身近で現実的な話題について議論を闘わせるのが、サンデル教授の手法である。 
 先日のインタビューでは、彼のこんな発言が聞かれた。「私が教鞭をとり始めた'80年代、つまりサッチャー首相やレーガン大統領による市場主義(というより“市場勝利主義”)が幅を利かせ始めた頃から、個人主義志向が非常に強く、また弱肉強食を是とするような実力主義的な考え方の学生が増えた。これは社会全体にも見られる傾向だが、果たして本当にそれでいいのか? 成功者が恵まれない人を顧みないような社会は、ひどく不幸で貧弱なものとなる。個人の権利や自由を尊重するだけでなく、本質的な意味での『正義』や『共通善』について考えることも、より良い社会の構築に不可欠なのではないか。金融危機によって“市場勝利主義”に終止符が打たれた今は、そういった議論を深める絶好の機会だといえる」。
 実力主義に傾倒する学生たちが、実力主義を批判する教授と議論したくて大勢集まるという現象には、ある種の健全さやスケールの大きさが感じられる。そして、異なる意見に耳を傾け、対立を乗り越えることで問題解決に近づける――民主主義の要諦ともいうべきそんな作業は、当然ながら、高い学費を払って大学に行かなくとも充分にできるはずのものである。


 故ジョン・レノン氏ゆかりの楽器や衣装などを展示する「ジョン・レノン・ミュージアム」(さいたま市)が9月末で閉館し、10年間の歴史に幕を下ろした。内容の割に高すぎる入場料が客足を鈍らせた、との見方が閉館理由として妥当なところだろうが、「ジョンの魂を一箇所にとどめたくない」というオノ・ヨーコ氏の声明もそれなりに美しいものではある。ともあれ、館内ではジョン・レノンおよびザ・ビートルズの世界が、そこかしこに顔を覗かせていた。
 すでに語り尽くされたビートルズの魅力においても、彼らの楽曲を聴くたびにとりわけ痛感させられることがある。「ビートルズの音楽には全ての音楽が詰まっている」との常套句どおり、彼らの楽曲にはロック以外の音楽ジャンル、たとえばジャズやクラシックやシャンソンなどの要素もうかがえるが、ジャズでいうと、それをより深く追求させればもちろん専門家であるジャズ・ミュージシャンに分があるものの、ジャズという音楽の本質をビートルズがしっかり掴んでいるが故にそれは高次元のジャズとなり、なおかつ独自性の高いジャズ、すなわち“ビートルズだけのジャズ”となる。その辺りに触れるにつけ、「オリジナリティとは物事の本質を掴むところから生まれるのだ」といった思いを新たにさせられる。

 ビートルズが成功し巨大化するにつれて、彼らを取り巻く音楽業界やメディア、および思慮浅きファンの狂騒は耐え難いほどに高まり、また各メンバーの方向性の違いからくる不協和音ものっぴきならないものとなる。バンドとしての限界を悟った4人はやがて解散、オノ・ヨーコなる“最高のパートナー”を得たジョンはビートルズを離れてのち、「想像してごらん……」と歌う名曲に代表される「愛と平和のメッセージ」を世界中に発していく。そんな有名な流れについては、ミュージアムでもひときわ強調されていた。
 「ビートルズであることに疲れ果てた僕は、そこから解放されてようやく自分のやりたいようにやれる場所を見つけることができたんだ」(ジョン・レノン)。確かに、ヨーコと行動を共にしてからのジョンの音楽は、政治や社会への激しい攻撃性が横溢する一方で何ともいえない優しさや穏やかさをも湛えており、本人にとってそこがいかに自由で心地いいステージだったか、実にしみじみ感じ取れる。だが、彼やビートルズの本質をしっかり掴んだファンの目から見て、“ファブ・フォー”時代のレノン = マッカートニーとソロ時代のジョン・レノン、果たしてどちらがより光り輝いていたかと言えば……この辺りもまた、非常に難しいところである。


 ジョンが凶弾に斃れた'80年は、前述したようにサンデル教授いうところの“市場勝利主義”が産声を上げた時期でもある。ジョン亡き後もこの世界には諍いが絶えず、愛や平和が訪れたとは思えないばかりか、市場勝利主義という、愛と平和への「新たな阻害要素」すら加わり、彼のメッセージとはむしろ逆方向へと世の中全体が突き進んでいく。つまり、結果的にジョンの願いは、少なくともリアルタイムでは全く成就しなかったことになるが、もしもこれを「時代が彼に禍した」というなら、経済至上主義時代が終焉を迎えつつある今、ジョンやサンデル教授の取り組みは今度こそ実を結ぶのであろうか。それとも、やはりビートルズやハーバードといった「売れ筋キーワード」が絡んでこそ注目される程度の、しょせんは本質なき“理想主義的ファッション”にすぎないのだろうか。


'10.秋  東雲 晨





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