世間的には名もなき夫婦、とある初老の夫婦の話である。

 もともと明朗快活だった妻は、四十年前に第一子を出産したのち、関節リウマチという難病を得て第一級身体障害者になった。以後、腎不全、脳梗塞、脳出血とさまざまな病気が、無情にも延々と彼女につきまとっていく。
 リウマチの慢性的な痛みを抱えながら腎不全を発症し、十年近くも人工透析に励んでいた妻が、そのうえ脳梗塞を起こして入院したのは一昨年の暮れ。それから、夫は毎日のように通院し、本格的な介護生活に没入する。そして、傍目には過剰とも映るほどに献身的な介護ぶりが、徐々に周囲を動かしていくこととなる。
 次から次へと難局を突きつけられ、時には心が折れそうになりながらもその都度奮い立ち、たとえどうあっても強く生き抜こうとする妻と、その不屈の気概に応えるべく徹底的に寄り添う夫。若い日の二人の間には、障害を持つ者とそれに付き合う者の苦痛や苛立ちを伴って、恐らく世間の夫婦並み以上の確執や衝突があったことだろう。お互いを心底うとましく感じたことも一度や二度ではないはずだ。が、今や何とか病を蹴散らして命の灯を守り通そうという共通の固い意志を抱きつつ、いわゆる「闘病」とその介護に必死で取り組むうち、彼らの思いは個人的な営みにとどまることなく、「医療の在り方」や「患者との関わり方」といった医療現場での普遍的なテーマに一石も二石も投じていく。
 新たな病状が現れるたびに、病院側との協議や模索を尽くし、場合によっては従来になかった治療法すら提起する。そして、いったん方針が決まってしまえばその方向に全力を注ぎ込む二人。ただ治す側の言いなりになる訳でなく、むしろ治される側が主導権を握って症状改善への道筋を考える。そんな一連の態勢が、単なる仕事としての医療を超えた、「医」に携わる者としてのもっと本質的な力を、医者や看護師から着実に引き出していくのだ。
 しかし一方で、妻の容態に劇的な好転の兆しは見られないどころか、病魔はこれでもかとばかりに容赦なく忍び寄る。命を賭した手術に次ぐ手術。脳梗塞を避けようとすれば反作用として脳出血に陥りやすくなり、その逆もまた然りという抜き差しならない背反状態。挙げ句、今度は足のつま先から体内に悪性細菌が侵入し、生命維持のためには足首の切断すら検討せざるを得なくなる。その重苦しい事態はどうにか免れたものの、度重なる無慈悲な攻撃に妻の身体は刻一刻と疲弊していく。
 「あんたと夫婦で、本当によかった」――たどたどしい語り口で夫と談笑する中、いつになくハッキリ絞り出したこの言葉が、妻から夫への感謝を込めた最後の贈り物になってしまう。ある夏の日、結果的に命取りとなる幾度目かの脳梗塞発症。生き切った肉体から魂がフッと抜け落ちていくかのような、それは静かな最期だったという。
 ほとんど好きなこともできぬまま、一生の半分以上を病に蝕まれつづけた末の旅立ち。不運でかわいそうな生涯であることに間違いはない。だが、人生最後の数年間、ともに病とせめぎ合う中、夫婦一体で極度に濃密な時空を疾駆できたのは、ひとつの「比類なき幸せの形」ではないだろうか。少なくとも、健康や経済力にそこそこ恵まれ、とりたてて不安や葛藤もない老後を長閑に暮らすほうが幸せだ、などと安易に言い切れるようなものでは決してないだろう。
 幸福とは何か、夫婦とはどんなものか、そして「生きる」とは一体どういうことなのか……二人の真摯な姿から、他の家族や見舞い客は並々ならぬ影響と感銘を受けたはずである。そして、とりわけ病院関係者は、今後もう二度と現れないであろう“奇跡の”患者夫婦から、計り知れぬほど大きなものを授けられたに違いない。

 火葬を終えた妻の骨壺は、一周忌を迎えるまで自宅の窓辺近くに置かれるという。四季の移ろいを愛した妻に、自宅前の花景色を向こう一年ゆっくり楽しんでもらうのだそうだ。

 世間的には名もなき夫婦、とある初老の夫婦の話である。


'10.夏  東雲 晨





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