「史上最悪の通り魔事件」とされる秋葉原無差別殺傷事件が発生してから一ヶ月が経過した。この間、ネット掲示板に犯行予告を書き込む「模倣犯」が相次いで現れ、また事態を重く見た厚生労働相は犯人のような「貧困層」を多く生んだ労働者派遣法の改正に乗り出した。痛ましい事件が起こるまで行政が腰を上げないところは相も変わらずお粗末ながら、今回の惨事の元凶は「貧困」以外の部分にありそうだ。

 雇用形態の規制緩和が進んだことで派遣や日雇いなどの低賃金労働者が急増――そんな社会状況に事件の原因を求めることは容易である。また、世の中への抗議をデモや暴動の形で広く社会に提示する代わりに自殺や殺人へと走りたがる現代日本人の「寒々しい内向性」を嘆くこともできるだろう。しかし、何よりもこの犯人自身の「負け方の不甲斐なさ」こそ、やはり最大の咎(とが)として見逃すわけにはいかない。
 犯人は携帯電話サイトの掲示板に幾多の愚痴を書き連ねたが、例えばその中に「高校出てから8年、負けっぱなしの人生」というくだりがある。これは高校時代までは「勝っていた」ことを意味する。何において? もちろん「受験制度において」。ここから、県内随一の進学高校に在籍していた「栄光の日々」を未だ拠り所にしている彼の心情が窺える。あるいは自らを「不細工」と呼ぶ外見コンプレックスを露わにし、友達や彼女がいないこと、不安定な派遣社員という今の自分の境遇に対する極度な不満をブチまけている。裏を返せば、彼が望んだ状況とは、高学歴で、容姿端麗で、友人が多くて、恋人がいて、企業の正社員で……全ては世間一般で「是」とされるものである。それらを悉(ことごと)く手に入れられなかったことへの怒りと苛立ちが募った挙句、今度は一気に真逆まで針が振れ、無差別大量殺人という世間一般で最も「非」とされるような形で暴発した。結局のところ、基準はすべて「世間」にあり「自分」の中には何もなかった――他者からの目線にすっかり支配されていたところが、彼の最たる悲哀だといえよう。
 負け組とは、「世間の基準で負けている組」ならず「世間の基準に負けている組」のことである。
 掲示板に「みんな俺を避けてる」と書き込み、いよいよ自暴自棄になった男は、兇行によって「ワイドショー独占」なる「夢」を叶え、一躍注目を浴びる存在となる。しかも事件後のネット上では、恐らく彼と同じような境遇にいる者たちによる、彼を崇め奉るような書き込みが後を絶たないのだという。いわば、ものの見事な“大ブレイク”。だが、既成の概念を壊すどころか逆に翻弄され尽くした末の破滅的な八つ当たりなど、何のブレイクでもありはしない。
 「犯罪予備軍って、日本にはたくさん居るような気がする」という彼の指摘は、恐らく的を射ているだろう。ただ、この事件を契機に国や政府が労働環境改善への抜本的な対策に乗り出さねばならないのは当然ながら、彼の云う「犯罪予備軍」たちもまたこの事件を境にして、彼に云われるがままの「犯罪予備軍」などから脱しなければならない。各人が持つ並々ならぬ不平不満は、「格差社会」なる愚劣な構造のみならず、それによって勢力を増す“短絡的なセケンの価値観”をも覆す方向にこそ爆発させるべきである。少なくとも、死刑制度推進派が食いつくような重大犯罪者を次から次へと輩出し、彼らの“正義派ぶった嗜虐性”をせっせと昂ぶらせてやっている場合ではない。

 しかしながら……いくら格差が固定化されているとはいえ、現状を打破する可能性がゼロと決まった訳ではない点で、格差社会の「最下層」ですら相対的にはまだまだ恵まれていると言わざるを得ない。何しろ生まれながらにして全てを定められ、外からだろうと内からだろうと「破壊」することが絶対に許されない境涯に閉じ込められた人たちも、この世には現に“おはします”のだから。


'08.夏  東雲 晨





inserted by FC2 system