衝撃的な事件が毎日のように起きる時代である。戦前・戦後には今よりもっと「えげつない」事件が頻発していたという事実もあるものの、だからとて昨今の異常さが軽減される訳ではない。昨年もあまたの凶悪事件が発生したが、中でも地方の港町で年の瀬に起きた二つの殺人事件は、ある意味“最たる劇場型犯罪”とでも呼ぶべきものだった。

 一つは、香川県坂出市の3人行方不明事件。祖母と孫娘2人が突然姿をくらましてから10日後、祖母の義弟が借金がらみの怨恨の末に3人を殺害していたことが判明した。犯人が捕まるまでの間、ワイドショーを始めとしたマスコミは孫娘2人の父親である山下清さんに連日取材を申し込んだが、その図はまるで風貌やキャラクターが「いかにも」な山下さんを犯人扱いするようなものであり、視聴者の多くもそれに乗せられた。とりわけある有名司会者などは、山下さんが3人の失踪に気づいてから警察へ届け出るまでに1時間の空白があったことを「怪しい」と自らの番組内で指摘し、以降もあからさまに彼を疑う発言を繰り返したことで後に山下さんから名指しでの謝罪要求を突きつけられたが、あたかも「秋田連続児童殺人事件における畠山鈴香容疑者」の再来を期待するかのようなマスコミや視聴者の思いは、真犯人の出現によって見事に裏切られる。
 さらに、犯人逮捕後も複数犯の可能性が残り「犯人の長男が共犯者では?」という新たな疑惑が生じたものの、これも最終的に単独犯との断定がなされたことであえなく消滅。結局のところ、この事件における“観客”の予想は一度ならず二度までも覆されることとなった。
 もう一つは、長崎県佐世保市の銃乱射事件。スポーツクラブに友人たちを呼び出した男がそこで散弾銃を乱射して友人の一人と女性インストラクターを撃ち殺し、翌朝教会で自殺を遂げるという凄惨な事件の真相については、メディアにおいても様々な憶測が飛び交った。犯人が黒ミサや黒魔術に興味を持っていたことから「片思いの女性と中学以来の親友を生贄にして儀式を執り行ったのでは?」、さらに彼がいわゆる“潜伏キリシタン”の子孫だったことから「カトリック信仰の対極にある悪魔崇拝に則り、カトリックで禁じられる殺人を犯したうえ敢えて教会で自殺したのでは?」などなど。もし犯人が生きて捕まり真相をペラペラ喋っていたら大した内容ではなかったかもしれないのに、である。
 「肝心なシーンをあえて映像化しないことにより、観客の想像力を掻き立て恐怖を増幅させる」というアルフレッド・ヒッチコック監督の映画作法や、古くは世阿弥の“秘すれば花”なる言葉など、およそ犯人の意識するところではなかっただろう。しかし、彼が犯行直後に自らの口を封じたことで、単なる無理心中だったかもしれない事件にはおどろおどろしい歴史的・宗教的ミステリーの色合いまでもが付加されたのだ。
 「観る者の予想を裏切る」「想像力を掻き立てる」――この二つは、いずれも芝居や映画において最も重要な要素である。片や「持たざる者」同士、それも身内同士の金銭トラブルがたまたま現場に居合わせた二つの幼い命をも巻き込む狂気へと至り、片や無職の幼稚な中年男が岡惚れ相手を、旧友を、そして自らをも銃弾で消し去ってしまう。まるで昨今の犯罪に特徴的な要素を凝縮したかのような二つの事件は、同時にそれぞれが“最も重要な劇場的要素”をも期せずして具有することになった。

 衝撃的な事件が毎日のように起きる時代である。そして多くの場合、捕まった犯人は自らが起こした事件について、まるで他人事のごとく淡々とした態度で語る。虚構感覚で事件を起こす犯人と全てをショー仕立てにしたがる世間との“自覚なき結託”により、今後の劇場型犯罪は言葉どおりの意味に留まらず、先述した二つの事件同様、劇としてより本格的な仕掛けが凝らされていくかもしれない。例えば「観客もまた共犯者」のような……いや、そんな作品はとっくに上演済みであろう。何しろ今どきの事件のほとんどは、「社会全体が真犯人」みたいなものだから。そう、戦争という最大の犯罪が時にそうであるように。


'07-'08.冬  東雲 晨





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