プロレスラー・長州力の物真似を売りにする長州小力という芸人が、数年前に登場して以来安定した活躍を見せている。短命に終わるだろうと予想された彼の意外な健闘ぶりに引っ張られる形で、最近は長州力本人までもがテレビ番組やCMによく顔を出すようになった。また、バラエティ番組でケンドーコバヤシらプロレス好きの芸人たちに取り上げられたのを機に、越中詩郎というプロレスラーがちょっとしたブームを呼んでいる。今から四半世紀前、空前のプロレス・ブームの中心にいた“革命戦士”長州は、現在55歳。そして、闘志をむき出しにしたファイト・スタイルで根強い人気を集める越中は48歳。ともに全盛期を終えて久しいレスラーたちが期せずして脚光を浴び、そのお蔭でプロレス自体の注目度も少しばかり上がっているようだ。
 世紀を跨いだ辺りから、プロレス業界は史上何度目かの「冬の時代」を迎えている。メジャー団体の分裂に次ぐ分裂や、リアル・ファイトを標榜する格闘技勢力の台頭、さらには彼らに挑戦したプロレスラーたちが惨敗の山を築くという体たらくなどが仇となり、プロレス人気は大暴落、一時は存続すら危ぶまれるほどの事態に見舞われた。それが今や、思いもよらぬ援軍により幾許かの存在感を取り戻しつつある。常に誰かがネタにしてくれるという、いかにもプロレスらしい「食いっぱぐれのなさ」もあるにせよ、そこにはいわゆる「風」の力が少なからず作用しているように感じられる。
 この世では、黙っていても勝手に追い風が吹いてくれることが確かにある。だが、適切な方向での努力を続けるうちに何らかの追い風が吹くという不思議な現象はやはり見逃せない。格闘技人気に押されながらも、プロレスという愛すべきジャンルを死守し発展させたいと願う関係者たちの地道な営みが、ここへ来て僅かながらも周りを動かし始めた、つまり「プロレス自らが風を起こした」部分も多々あるのではないか。
 もちろん、今回のようなクローズアップのされ方では一過性の微かな光明に終わる恐れもあるし、また“商売仇”である格闘技との人気差はまだまだ歴然としている。しかし、「格闘技を演じる」というプロレスの特性を考えれば、アスリートとしてはピークを遥かに過ぎながらもアクション俳優として脂の乗り切った時期にある「中高年レスラー」たちがプロレス復興への足がかりを築くなどという図は、何やら象徴的ではないだろうか。
 「風が吹くって!」……最近の越中の決めゼリフであるが、その口上には、彼自身が思う以上に壮大な意味が秘められているのかもしれない。

 さて、プロレス界を大きく揺さぶる格闘技界は、K‐1、PRIDE、HERO'Sなどの人気団体がひしめき、相変わらずの活況を呈している。先陣を切ってK‐1が設立されて以来この格闘技ブームも十数年に及ぶわけだが、その歴史において最大のスターといえば、やはりアンディ・フグを挙げて誰も異存はないだろう。今から7年前の2000年夏、35歳の若さで急性白血病に散り、世界中の格闘技ファンを悲しませたスイス人空手家。彼は決して圧倒的な強さを誇ったわけではなく、むしろ格闘技人生において幾度となく手痛い敗北を喫するが、そのつど必死に這い上がってはしっかり雪辱を果たしてみせた。彼の絶大な人気は、その人柄やカリスマ性もさることながら、「“強さ”というものへの執着心」に大きく依拠していたと言えるだろう。
 「アンディ語録」の中に、こんな言葉がある。「強い弱いに拘らず、負けることは誰にでもある。ただ、負けてしまった際にその状態から巻き返せるか、それとも負けっ放しで終わってしまうか、そこが強い者と弱い者との違いなんだ」。
 絶対に勝つという気持ちで勝負に臨むのは当然だが、実際には必ず誰かが敗者となる。しかし、敗北という厳しい現実を乗り越えた結果、単に復活を遂げるどころか負ける前以上の強さを手に入れることができれば、敗北は充分に有効活用された、つまり「『負け』に勝った」ことになる――リング上で苦杯を舐め続けた“鉄人アンディ”の至言には、そんなポジティブな思いも篭められているに違いない。

 そういえば、最近の東京にも、逆境を跳ね返した末に以前よりも強さを増した人物がいる。ただし、こちらは残念ながら歓迎すべからざる意味で。

 14人もの候補者が乱立した4月の東京都知事選では、現職が「圧勝」して三選を果たした。投票率は半分強、そのうちのまた半分強が彼への支持を表明し、これでよほどのことがない限り向こう4年間にもわたって引き続き彼が都政を牛耳ることになる。都政私物化への批判によるイメージダウンを挽回するため、選挙期間中は低姿勢を貫いたものの、当選してからは“持病”の倣岸不遜さがより顕著化したとの嘆息も多く漏れ聞こえて来る。国内では競争原理が適さぬ領域での弱肉強食傾向を加速させ、海外に向けても数々の思慮浅き発言を繰り返してきた人物に、都民はまたもやYESのサインを出してしまった。
 しかも理解に苦しむことに、富裕層のみならず、いわゆる格差社会化により底辺に追いやられた人たちまでもが進んで彼に票を投じる。強い者から虐げられてもその強さに頼りたがるのだ。ふつう、自分たちを痛めつける権力者に対しては民衆の怒りが爆発し反乱のひとつも起きようものだが、そんな輩に抵抗するどころか逆にますます縋り付こうとする不可思議なメンタリティは、現代日本人に特有のものとしてしばしば指摘される。傍目には奇々怪々なマゾヒズム。それとも、あちこちで革新勢力の火の手が上がる地方の切実さに比べて、首都の惨状などまだまだ切羽詰まってはいないということか。
 あるいは、都知事が他の誰かに替わろうとも大して期待できないという諦めを前提に、つまり「どうせなら」ということで、こんな心理が働いているのかもしれない。小泉首相なき今、安倍首相ではひ弱すぎて叩き甲斐がない。そこで、叩き甲斐のある屈強で憎むべき存在を常にキープしておき、ことある毎にそれを叩くことで痛めつけられる者としての「ガス抜き」をしたい、と。だとしたら、ガス抜きの対象によってまた痛めつけられるというサドとマゾの悪循環。救いようのないスパイラルに、東京都民はどっぷり嵌ってしまったことになる。

 ところで、五輪誘致をアピールするべく大々的に催された東京マラソンでは、ランナーや観客、それに警備員や運営ボランティアなど夥しい頭数が動員された。そこには「大震災勃発に際しての予行演習」といった“裏目的”の存在が囁かれるほか、一部では「テロに備えたシミュレーションでは?」とのキナ臭い推測もなされている。都知事の好戦性からして、あながち的外れとはいえない見解だろう。
 が、実際のところ、世界各国で大規模なテロ事件が多発しているにも拘らず、ガラ空き状態と言っていいくらい危機感の薄い日本では、何故かテロのテの字も臭ってこない。イスラム系テロ組織にとって憎っくきアメリカと最も近しい関係にある国なのに、である。テロリストたちの目には、異様なまでの日本の無防備さが却って不気味に映るのか、それとも日本などテロの標的としてすら数のうちに入っていないのか。いや、もしかすると彼らは「日本を屈服させるくらい、テロルを用いるまでもない」と完全に高を括っているのかもしれない。苛めれば苛めるほど大人しくなる奴らなんてチョロいもんさ、と。
 都知事としては、いささか拍子抜けすら覚える状況だろうか。しかしながら、彼にとっての敵は、なにも遠い異国からのテロリストを心配せずとも、ほんの膝元にいるかもしれない。それも、東京や日本でなく彼個人(および彼に類する存在たち)をターゲットとする恐ろしい刺客が。なにしろ、選挙で圧勝したとはいえ所詮は都内有権者の僅か4人に1人を取り込んだにすぎず、そして何より、今回まだ投票を許されなかったティーンエイジャーの中に、彼への反発心を抱く者が少なからずいる可能性も充分にあるのだから。

 野蛮かつ非生産的な従来のテロルとは一線を画す「創造的破壊」を、そろそろ時代が欲している。“現段階での未成年たち”は、古びた毒を(場合によっては薬をも)蹴散らし、息も絶え絶えの巨大都市に颯爽たる「風」を吹かせてくれるだろうか。             


'07.春  東雲 晨





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