37年ぶりの引き分け再試合で2日間にわたり繰り広げられた今夏の甲子園大会決勝戦は、高校野球史におけるベストバウトの一つとして語り継がれることだろう。斎藤佑樹(西東京代表・早稲田実業高校)と田中将大(南北海道代表・駒大苫小牧高校)、タイプこそ違えどいずれ劣らぬ負けず嫌いな両投手の互いに一歩も退かない投げ合いは、もはや野球という団体競技の枠を超えて“男子シングルス”の風情すら漂わせる傑作だった。あの試合を傑作たらしめたものとは何であるか、少し考えてみたい。
 世の中が便利になればなるほど、各人の資質には差が出てくる。不便な状態に置かれれば誰しもある程度の工夫を編み出すことができるものの、便利さに囲まれた中でその便利さに呑まれることなく使いこなすのは非常に難しいからだ。また、何もない状況下で何かを一から生み出そうとする場合、大きな苦悩を伴う一方でまだ新しいものを発掘する余地がたっぷり残っているという与しやすさもあるが、多くが出揃った中で更に新しいものを自ら創り出すには格段に高度な能力が要求される。それゆえに「できる者」と「できない者」との間には画然たる差が生じ、例えば「独自の野球を創造する者」と「そのハンカチを追い回すだけの者」という救いがたいほどの隔たりにまで行き着くことになる。しかもモノや情報が溢れ返る現代においては、そういった能力の重要性はますます高まっていくだろう。
 何もかもあてがわれて考えることがない、もしくは既成のものの隙間に灯る僅かな残り火を探し当てるというような次元ではなく、ほとんどのものは出尽くしたという前提のもとに、それら豊富な素材をいかに巧みに料理してより高い次元の新境地を切り拓けるか。稀代の死闘を演じる中で、二人の“剛腕”はそんな片鱗を見せてくれた気がした。

 その後の進路として斎藤投手は大学進学、田中投手はプロ入りを表明し、当面は別々の道を往くことになった両者だが、早くから田中投手の高校生ドラフト1位指名を公言していたプロ野球・読売ジャイアンツが、土壇場になって急遽方針を変更、夏の甲子園にも愛知県代表で出場した愛工大名電高校の堂上直倫内野手を1位で指名した(交渉権獲得は失敗)。表向きには「投手よりも野手を」という現場からの要請に応じた形となっているが、この不自然な方向転換には「いかにも」な異説がある。甲子園大会で沸騰した斎藤投手の人気を目にして彼に鞍替えするような素振りを見せた巨人軍が、不信感を抱いた田中投手側から友好関係の解除を申し渡され、規定路線だった田中獲得から撤退せざるを得なくなった、というものだ。それが真相だとすれば、図らずも斎藤の活躍が田中の巨人入りを阻止したことになり、まるで“よきライバル”を“よからぬ球団”へ導くまいとする「無意識の計らい」が実を結んだようにさえ思える。結果的に田中投手が“よい球団”へと導かれたかについては疑問が残るものの、その計らい自体は斎藤から田中への“友情の初披露”とでも言えるものではないか――そう私には感じられた。

 その田中投手が恐らく“意中の球団”にしていたであろう北海道日本ハムファイターズが、地元を同じくする駒苫の雪辱を果たすかのように大暴れし、就任4年目のトレイ・ヒルマン監督のもと、前身である東映フライヤーズ時代以来じつに44年ぶりの日本一に輝いた。今シーズン限りで引退する“スーパースター”新庄剛志選手に最後を優勝で飾ってほしい、という気運も作用して、今年のファイターズおよび北海道のファイターズファンは凄まじいボルテージを見せ続けた(余談ながら、奇しくも同じ九州出身でしかも同学年の新庄と苫駒・香田誉士夫監督が、野球を通じて北海道を全国的に盛り上げる立役者となったのも何かの縁かもしれない)。
 昨年の千葉ロッテマリーンズに続いて今年はファイターズが頂点を極めたことにより、「ベースボールをバックボーンにする外国人監督が、長らく栄光から遠ざかっていたチームを立て直して躍進させる」という図がすっかりお馴染みになった感すらある。今季からマーティ・レオ・ブラウン監督が指揮を執った広島東洋カープや、来季の新監督にテリー・コリンズ氏を迎えるオリックスバファローズなども、そんな流れに追随する用意は出来ていることだろう。
 その“先駆者”マリーンズだが、昨シーズンのチャンピオンチームである彼らが今年は打って変わって勝率5割を大きく下回りBクラスに甘んじた原因は幾つか考えられる。
 他球団からのマークが厳しくなったうえ、選手たちが慢心して気が緩んだ。監督があまりに高い年俸を要求したせいで、選手たちとの間に溝が生まれた。シーズン・イン直前の大事な時期にWBCに9人(うち投手が5人)もの選手を駆り出されたのが影響し、最後まで調子を取り戻せなかった……等々。
 この辺りの見解がいわば定番だろう。が、それ以外にこんな絶望的な見方もできる。去年はたまたま出来すぎだったものの、バレンタイン監督が目論むような「新しい野球」を完全に根付かせるのは、もっと若いうちからでないと無理なのでは?――小さい頃から「これまでの野球」を叩き込まれてきた選手たちに、今さら「これからの野球」を浸透させようと試みたところで、刹那の徒花を咲かせて散るのが精々ではないか、と。
 あるいは全く逆に、こんな希望的な推察はどうだろうか。「監督が単年契約だと毎年ある程度の成績を挙げねばならないが、今年から改めてマリーンズとの複数年契約を結んだバレンタイン監督が、優勝した去年よりも遥かに上をいく野球を追求するため、今シーズンをある種の実験期間に充てた、つまり、言葉は悪いが“今季は捨てた”のではないか」。
 全体を底上げするには、表面上の一時的な停滞を強いられることがある。しかもそれがハイレベルな土壌での一層の底上げであれば尚更のことだ。良くも悪くもプライドの高いボビーが、法外ともいえる高額報酬に見合うだけの仕事を手掛けようとしている可能性は充分ある。もちろん今後の結果を見てみなければ何とも言えないが、もしも上の「希望的な推察」が正解だとしたら、我々は未だ目にしたことのないような野球を遠からず楽しませてもらえることになる。

 さて、そのバレンタイン監督率いるマリーンズは、今年の高校生ドラフトにあたって選択希望選手を事前公表しなかった唯一の球団であるが、いざドラフト会議が始まるや、驚くべきことに福岡ソフトバンクホークスの「一本釣り」が確実視されていた沖縄県立八重山商工高校の大嶺祐太投手を指名して交渉権を掻っさらい、熱心な説得の末、獲得に成功した。「駒苫・田中かPL学園の前田健太投手を指名するのでは?」と予想されていたマリーンズが、わざわざホークスと相思相愛の大嶺を「強奪」したのだ。すでに4球団が名乗りを挙げていた田中については、高倍率での競合を嫌って諦めたのかもしれない。だが、前田の場合はカープによる単独指名選手であり、その意味では大嶺と同じ条件だったはずだ。にも拘らずボビーは、甲子園の代名詞的存在ともいえる典型的名門校のエースピッチャーでなく、その対極にある環境で育ったエース、つまり南の離島で子供の頃から10年以上も同じ仲間と共に野球を楽しんできた、今の日本では珍しいくらいプリミティブな形で野球に没頭してきたチームのエースを、「最も欲しい選手」として指名した。もしもこれが「もっとハイグレードな野球を目指す上でこそ、是非とも彼が必要なのだ」ということであれば、先ほど述べた「絶望的な見方」と「希望的な推察」の(どちらかが当たっているとして)どちらが当たっているにせよ、この上なく興味深い選択だと言えるだろう。

 さらにもう一人付け加えるなら、甲子園は未出場に終わりながらも高い地力を評価され、「公立校で強い私学を倒したい」という感性が耳目を惹いた埼玉県立鷲宮高校・増渕竜義投手も、ドラフト1位でのプロ入りを果たした。
 “新しき良きプレイヤー”たちに、“新しき良きチーム”たち。彼らの手に成る「より高い野球」がその全貌を現すのに、さほど長い時間はいらないはずだ。
                

'06.秋  東雲 晨





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