ドイツで開催された今回のサッカーワールドカップは、イタリアの24年ぶりVで幕を閉じた。戦前は「史上最強の代表メンバー」とまで謳われたジーコ・ジャパンだが、いざ一次リーグが始まってジダンやベッカムやロナウジーニョ率いる世界のトップチームのプレーを見るにつけ、同じサッカーと呼ぶことすら憚(はばか)られるほどの歴然とした差があることを思い知らされた。日本代表を応援していたファンも、大会が進むにつれて「これはあまりにレベルが違う」とさすがに気づいたことだろう。
 あの状態でもし日本が勝ち進んでいたとしたら、それは強運か奇跡かマグレによるものであり、そんな勝ち方は誰にとっても(もちろん日本にとっても)好ましくない。また、日本代表は最後まで実力を発揮し切れなかったという見方もあるが、持てる力を本番で出せないのは力がないよりもむしろ重症だといえよう。いずれにせよ、日本の深刻な弱さには、体格やパワーを含む個々の資質もさることながら、初等教育の在り方というものが大きな影を落としているのではないかと思う。

 例えば、日本人が誰かにサッカーのキックを教える際、フォームはこう、角度はこう、蹴り足は、軸足は……といったような手順を踏むのが常であろう。しかし、日産自動車の社長兼最高経営責任者(CEO)であるカルロス・ゴーン氏は、我が子に向けてこんな風にキックを教えるという。「(自分の胸を指さして)どんな蹴り方でもいいから、お父さんのここを目がけて蹴ってみろ。ここにボールを当てることさえできたら、それがお前の蹴り方だ」。
 これは、ブラジル生まれでレバノン、フランス育ちのゴーン氏にまつわるエピソードである。
 また別の例として、算数の足し算を挙げてみよう。日本の小学校では、足し算は一般的にこんな形で出題される。

   □に数字を入れなさい。  5 + 6 =□

 だが、同じ足し算でもイギリスの小学校だと、こうなる。

   □に数字を入れなさい。  □+□=11

 5 に 6 を加えたら、当然ながら答えは 11。それ以上何の展開もないし、なにより問題として面白くない。だが、「何と何を足してもよろしい、とにかく足して 11 にしなさい。それが、君の 11 なんだよ」などと言われると、子供としては俄然目の色が変わってくるだろう。
 5 と 6 を足しても単一の解答しかないが、足して 11 になる二つの数字の組み合わせなどバリエーションは無数にあるし、考えれば幾らでも広がっていく。ましてや、これが足し算でなく掛け算や割り算になると、それこそ果てしなき世界がそこには現出する。小学校で学ぶ算数の初歩の初歩、この段階でこれだけの差があれば、後々の広がり具合については推して知るべし、であろう。繰り返しになるが、これは欧米で最も保守的・閉鎖的な国の一つといわれるイギリスでの話だ。
 合計を○にするというルールさえ守れば、そこに到るまでの方法は一切問わない――というのが、この際の西洋式教育のエッセンスである。そこからは多角的な発想や思考が展開され、その先に各自のオリジナリティが導き出される。片や日本では、従来の固定的な指導法が厳格すぎるとの見解から、合計を○にするという最低限のルールすら取り除いて「間違いも個性」などと嘯くゆとり教育が施行された。これは目も当てられない学力低下を招いたとして元に戻す動きも出ているようだが、結局のところは「硬直思考の植えつけ」と「滅茶苦茶な何でもあり」との間をドタバタしているだけの話だ。これが現代日本における教育の実情であり、同時にそれは、「過度で無意味ながんじがらめ」と「歯止めの利かない無秩序状態」が共存する現代日本社会そのものの実情とも密接にリンクしていると考えられる。つまりは、緊張感や柔軟性というものを履き違えた初歩教育が、サッカーに限らず日本の様々な分野に決定的なマイナスを及ぼしている、と言っていいのではないだろうか。
 天才的な人材は、どんな環境に置かれようと独力で台頭することがある。今後も日本が「時たま天才が勝手に出てきてくれればそれでいい」と言うのならともかく、例えばサッカーにおける中田英寿選手のような人材を稀に輩出するのみならず全体的な底上げを図りたいのであれば、そういった初歩教育から抜本的に考え直す必要があるだろう。高校や大学、ましてプロになってから教育するのではとても間に合わないということを、今回のW杯で痛切かつ明確に分からされたのだから。
 「いや、外国の方式もいいだろうけど、日本には昔から日本人に合ったやり方が……」こんな言い草は結果が出せてこそのものである。海外流をそっくりそのまま真似ることはないにせよ、何でもいいからとにかく「日本人に合った」やり方で鍛えられ、その中から選りすぐられた日本代表メンバーこそが、さしずめ日本サッカーにおける“君の11”だと言えるだろうし、そんなイレブンが世界の強豪チームとピッチで渡り合ったらどうなるか、是非とも観てみたいものである。
                

'06.夏  東雲 晨





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