宿



 米大リーグ・シカゴホワイトソックスと今年の3月にマイナー契約を結びながら、右ひじの炎症で故障者リスト入りしていた野茂英雄投手が、このほど同球団から契約解除を通告された。当面は治療に専念するというが、その先には当然のごとくメジャー返り咲きを睨んでいることだろう。
 熱望してメジャーに挑みながら思うような成績が残せず数年で出戻る日本人選手も多い中、パイオニアとして渡米し既に大変な実績を挙げたにもかかわらず、幾度もの故障やクビを乗り越えて今なおメジャーに食らいつく野茂の姿は驚嘆に値する。余人とは一線も二線も画す、まるで憑かれたような彼の大リーグ志向は、一体どこから生まれるのだろうか。

 大阪生まれの野茂は、地元の名もない公立高校の野球部で甲子園などとは無縁の球児時代を過ごした後、地元の社会人野球チーム・新日鉄堺に3年間在籍。この時期にオリンピックなどの国際大会でメキメキ頭角を現し、'89年ドラフトでは史上初の8球団競合の末、これまた地元のローカルチーム・近鉄バファローズ(現・オリックスバファローズ)に入団することとなった。
 プロ野球選手を志す者にとっては、越境も辞さない名門高校からの甲子園出場、有名大学進学、そして人気球団への入団希望――といったいわゆる“主流”がある。そんな主流とは真逆のコースといえる野茂の足跡は“反エリート”を代名詞にした落合博満などとも共通するが、同じ反・主流というコース取りでもそれがやや怠惰に起因する感のある落合とは、根本的に意味合いが違うような気がする。
 現代の日本では、教育制度を皮切りに少なからぬ分野である種の“暗黙の取り決め”が存在し、ある分野で成功するべく正面から取り組もうとすると、およそ本題とは関係のない手続きを長きにわたって踏まされることになる。芸能人でいえば芸そのものの質以前に、テレビ受けするトークの腕や、バラエティ番組で演出家の狙いどおりに巧く立ち回る術などが要求される。ともすれば、その分野での実力の有無自体よりもそういった余計な試練に耐えられるか否かが重要視される局面の方が多いほどであり、そんな無駄な力と純然たる才能とを併せ持つ者はごく稀であるため、せっかくの有能な人材のほとんどが途中で潰され、脱落してしまう。こういう愚行を延々と繰り返してきたことが、「当節では医者や政治家、経営者から学生に至るまですっかり質が落ち、ロクなのがいない」とよく嘆かれるようになった大きな一因だといえるだろう。日本人の大リーグ入りなど考えられなかった時代に大リーグ入りを現実のものとして見据えていた野茂は、そんな“悪しき主流”に見切りをつけ、システマチックな英才教育や体育会系タテ型社会から最も遠いコース取りを選んだのではないだろうか。それも意図的にと言うよりは、むしろ本能的に。
 ただし、日本の常道から外れるといっても、野球がやりやすい環境を得るためには手段を選ばずに、例えば法外な費用を支払って(現実には親に支払わせて)海外留学をするというようなことはせず、あくまで自分がたまたま置かれた境遇の範囲内で、自己の能力を邪魔されることなく伸ばせるような方法を模索したのだ。その辺りに、野茂ならではの“運命と宿命に関するイズム”を感じ取ることができる。
 「運命」と「宿命」について、こんな区別の仕方がある。「運命」が自力で変えられるものであるのに対し、「宿命」は自力では変えようのない要素(例えばいつ、どこで、誰から生を享けるかなど)である、と。その分け方からすれば、理論上は大抵のことが自力で何とかできる、つまり「運命」に属するが、野茂はそこに自分なりに「やっていいことと悪いこと」の線引きを施し、あまりに無節操な手を使わねば変えられないと判断した要素を、変えるべき“運命”ではなく変えるべきでない“宿命”に分類した。そうして自力で設定した愛すべき“宿命”とであればこそ一枚岩のように絶対的な絆で結ばれ、それが自力で開拓すべき“運命”に向けての爆発的な推進力を生んだ結果、強引とも思えるメジャー入りが実現し、強靭無比なメジャーリーガー生命がいつまでも燃え盛るのではないか。いわば「自らが設けた“宿命”を友にして、自らが設けた“運命”を切り拓く」というイズム。そしてそれすらも、野茂は意図的にでなく本能的に打ち立てたのではないだろうか。
 「アメリカ大リーグにあって日本のプロ野球にないのは『魅力』」「メジャーをお払い箱になったらNOMOベースボールクラブで投げる」――数々の強気な発言をいまだ体現し続ける、誇り高きトルネード。「大リーグで箔をつけて日本球界に復帰する」という“新手の主流”に呑み込まれる気も、どうやら彼には全くなさそうだ。
                

'06.夏  東雲 晨





inserted by FC2 system