また新しい年が始まった。例によって昨年も多くの有名人がこの世を去っていったが、とりわけ私にとって印象深かったのは、プロレスラー・橋本真也選手と歌手・本田美奈子さんの夭折である。橋本選手は脳幹出血による急死を遂げ、本田さんは急性骨髄性白血病を発症してから1年足らずで亡くなった。ともに40歳になるかならないかという若さで逝ってしまった点もさることながら、私にはこの二人の死が、今後の人間社会における一種の予兆のように思えてならないのだ。

 「人生五十年、下天のうちを比ぶれば……」という信長の時代はおろか、ほんの戦前あたりまで日本人の平均寿命は50歳前後だった。それが、わずか半世紀余りのうちに「人生八十年」が当たり前になってしまう。実に60%増という驚異的な延び様である。これは栄養状態や医療技術の向上に加え、テクノロジーの発達により労働や日常生活における人体への負担が軽減されたことなどによるものであり、平たく言えば文明の進歩が原因だということになる。
 文明がこの調子で進歩し続ければ平均寿命の延びには一層拍車がかかるだろう。現に「2050年には日本人の平均寿命が90歳に達する。また、ほぼ2人に1人が65歳以上の高齢者となり、年金問題や高齢化問題がより深刻化する」などといった予測もなされている。だが、それはあくまで「今までどおりにいけば」という前提のもとでの話であり、現実がそれほど単純だとは思えない。
 例えば、こんな見方もできる。現在80歳前後のお年寄りは、子供の頃にある程度健全な形で身体が鍛えられているため元々頑丈である。そういった下地がある上で、大人になってから文明の進歩の恩恵を受けたからこそ大幅な長生きが可能になったのではないか、と。それに対して、食糧事情の悪い戦中戦後に成長期を過ごした世代は、そのツケが老齢期に差しかかって一気に噴出する恐れがある。さらにその下の、高度経済成長以降の世の中で育った世代は、豊富な栄養に恵まれ肉体の磨耗も少ないだろうが、同時に“文明の副産物”である汚れた空気や毒された食べ物に、生まれた頃から曝され続けている。
 他にも、今どきの人間は衛生面の過剰な改善のせいで体内の免疫力が弱っているという面もあるだろうし、現代社会の与える過酷なストレスにより少なからず命を削られてもいるだろう。しかも、そういった傾向は世代が下るほど濃厚に見られるはずだ。
 そう考えると、今の人間は一昔前に比べて外見的にも精神的にも遥かに若い(もしくは幼い)が、そのじつ内面は一昔前に比べてボロボロなのかもしれない。橋本真也や本田美奈子の例などは極端にせよ、若くしてあっけなく斃(たお)れるのがさほど珍しくない時代が近々到来するかもしれない。しかも外見が若いぶん誰もがごく若い姿のまま頽れ墜ち、“見た目の老人”がどこにも見当たらないような時代。もしそうだとしたら、そこには高齢化社会どころか、年金を受け取るべき高齢者の存在しない社会が現出することになる。
 と、ここまで来て、私の頭にある図が浮かんだ。――ある世代の平均寿命は80歳、その20年下は60歳、そのまた20年下は40歳……という風に、世代が下る分だけ平均寿命も縮まり、全ての世代がある時期に同時に平均寿命を迎えるのでは? つまり、ある時期にほとんどの人間が示し合わせたかのごとく一斉に消えてしまうのでは? ――こんな現象を、SFまがいの絵空事だと一笑に付すことが果たしてできるだろうか。
 かつて地球上では幾多の文明が自滅を遂げてきたが、それらはいずれも「完全なる滅亡」という形をとった。 しかし、仮に上述のような話が実現したら、今回の文明は「平均寿命を超えられない者のみの消失」によって終焉を迎えることになる。言い換えれば平均寿命よりも長く生き延びる少数派がそこには必ず存在するわけであり、彼らの中から次代の文明を創り出す者が現れるかもしれない。そして、言うまでもなくその文明は、前代の轍を踏まないような全く新しいものになるべきであろう。


'05-'06.冬  東雲 晨





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