今年で没後10年を数える芸術家・岡本太郎氏の遺した言葉や作品が、一部の若者の間でブームを呼んでいる。「(芸術は)うまくあってはいけない。綺麗であってはならない。心地よくあってはならない」「法隆寺は焼いて結構」「危険な道に賭けよ」などといった斬新でパワフルな語録が、若者たちの心を強く捉えて揺さぶるのだという。
 岡本太郎記念館(神奈川県川崎市)の館長・平野暁臣氏が、以前テレビでこんなことを仰っていた。「たとえば、岡本太郎の『太陽の塔』は呪文みたいなものだ。呪文というのは、内容の意味は分からなくてもその不気味さ、おぞましさは誰にでも伝わる。つまり“頭で意味を理解して誰もが共感できる”ものではなく“何だかサッパリ分からないけど、とにかく猛烈にモノ凄い”と感じさせるものこそが芸術なのだ。そういう意味で、『太陽の塔』とはさしずめ岡本太郎の“呪い”である」。
 芸術とは頭でなく直感に訴えるもの――これが芸術に対する岡本氏の真骨頂ともいうべき発想であろう。
 ただし、彼がカリスマ的な人物だとして、純粋にそのカリスマ性を感じ取って惹かれる者もいれば、単に岡本太郎というビッグネームに惹かれているだけの者も少なくないはずだ。そして昨今、後者のような状態を俗に「思考停止」と呼ぶ。

 文明の進歩に伴い、人間がモノを考えなくなってきたと言われる。人々がすっかり思考停止状態に陥った、と。それはある面で確かに正解だろうが、もう一面には「昔なら考えなくて済んだようなことを考えねばならない局面が増した」という事実もある。文明の進歩に伴って、我々は到底さばき切れないほどの情報を日々浴びせられ、生活や業務においては常識の範囲を優に超えた迅速化・煩雑化を余儀なくされている。しかもそれらは対応することによって思考力が鍛えられる類のものでなく、むしろ人間本来の頭の働きにそぐわない場合が多い。
 人間として考えるべきことを考える機会が減った代わりに、人体機能に合わないことを無理に考えさせられることにより、身体が拒絶反応を起こして悲鳴を上げ、鬱病などという昔では滅多に見られなかった症状に嵌る人が急増した――そんな流れは容易に推察できる。つまり、現代のいわゆる思考停止とは、「思考そのものが止まった状態」でなく「人間にとって必要な思考を止められた状態」を指すことになる。
 そんな状況に置かれた時世に、一人のリーダーが現れた。そう、我らが第89代内閣総理大臣である。彼はその薄っぺらであるがゆえに分かりやすいパフォーマンスを駆使してあっさり時代の波に乗り、圧倒的な国民人気を取りつけてしまった。それも不思議なことに、彼の具体的な言動や政策には少なからぬ人が異議を唱えているにも拘らず、その支持率は常に高値で安定している。これはもはや「時代の生理に合っている」という他ない現象であろう。頭で是非を考える以前に、みんなが彼に“惚れている”のだ。岡本太郎が「いいものに惹かれる直感力」に支持されるのだとしたら、我らが首相は「考えることを拒否する力」によって支えられている訳である。
 文明なるものが同じ調子で進歩し続ける限り、思考停止の度合いは今後ますます強まるはずだ。よって、首相および彼に類する輩たちの政権は勢力をより強固にする一方であり、そんな流れを敵に回して「もっとモノを考えよ」という方向で太刀打ちするのは至難の業だと言わざるを得まい。

 さて、時代とシンクロする首相のキャラクターについて、多くの人はそれが彼の「素」だと考えているだろうし、実際そのとおりなのかもしれない。だが、もしそれが何らかの企みのもとでの演出だとしたらどうだろうか。例えば彼がこんな風に考えているとしたら――
 「まったく今の日本人ときたら、老いも若きも緩みきっている。ここまで緩んでしまったものを引き締め直すのは並大抵のことじゃない。当然ながら強引な荒療治が必要だろう。そもそもこんなラクすぎる世の中に問題がある。逆境に追い詰められてモノを考えざるを得ないような状況に、無理矢理にでも持っていかねば。そのための最も効果的で手っ取り早い具体策は、何といっても戦争だ。戦火に包まれて逃げ惑う、明日の命をも知れぬ身の上――そんな地獄を突きつけられれば、人間は否応なくモノを考えるのだから」
 巷が手放しで味方してくれるという自らの資質をフルに活用して世論をじわじわと戦争へ導き、それによって日本人を思考停止状態から救い出し、日本を弛緩状態から一気に蘇生させようという計算が働いているとしたら……改憲や靖国参拝、それに日米同盟や自衛隊イラク派遣など、好戦的な一連の行為がすべてそのために打たれた布石だとしたら……いかにも彼らしい極端な発想ではあるが、方向性の善し悪しはともかく、それはそれで国や国民のことを真剣に想う“首相の中の首相”“愛国者の中の愛国者”と称されるべき姿だと言えるかもしれない。そして、実はそれこそが彼の唱え続ける“痛みを伴う改革”の真意なのかもしれない。


'05-'06.冬  東雲 晨





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