アメリカ大リーグ・ニューヨークメッツの前監督であるボビー・バレンタイン氏が、1シーズンだけ千葉ロッテマリーンズの指揮を執られた1995年、それまで毎年低迷にあえいでいたマリーンズがまるで別のチームのように息を吹き返し、優勝争いまで演じるほどの快進撃を遂げたことは記憶に新しい。あの年のマリーンズは実に強く魅力的で、しかも選手達自身が野球を活き活き伸び伸びと楽しんでいるのがはっきり伝わり、ファンならずとも見ていてワクワクした。監督のやり方一つで同じ選手たちがこうも変わるものかと、ただただ感心させられたものだ。
 とりわけ圧巻だったのは、シーズン大詰めでのオリックスブルーウェーブ戦である。その年の1月大震災に見舞われた地元・神戸に捧げるため是が非でも優勝したかったブルーウェーブは、最終的には見事悲願を成し遂げたわけだが、地元胴上げをかけてマジック1で臨んだ神戸グリーンスタジアムでの3連戦に、何とマリーンズは三本柱をぶつけて3タテを喰らわせ、目の前での胴上げを阻止したのだ。前年まで最下位近辺をウロウロしていたチームとは思えない底力に、すっかり脱帽させられるシーンであった。それとともに、当時の神戸の復興気運を揶揄する気は毛頭ないものの、いかにも日本的な湿っぽい涙の情景をいかにもアメリカ的な明るいスポーツの風がカラッと吹き飛ばしたような、ある種の爽快感すら漂うシーンだった。
 ところが、である。V9時代の管理野球を未だに好むゼネラルマネジャーなる人物との野球観の相違により、シーズン中から衝突が絶えなかったバレンタイン監督は、その年のシーズン終了後、表向きには「優勝を逸した」という何とも理不尽な理由で解任されてしまったのだ。一体どこの世界で、前年最下位争いしていたチームを優勝の一歩手前にまで躍進させた監督が責任を負わされるというのか? 結果的に彼は翌年からメジャーリーグの人気チームを率いることになり、本人にとっては却って好かったかもしれない。が、可哀相なのは残された選手たちである。なまじいい夢を見たばかりに、再び古色蒼然たる管理野球を強いられた翌シーズンのマリーンズはすっかり意気消沈、いや、むしろ不貞腐れたという表現がピッタリの「弱いロッテ」に逆戻りしてしまった。「ボビーが去るなら俺も辞める」と吐き棄てた外国人選手はもとより、のちにメジャーリーガーとなった伊良部や小宮山は、あの年にこそ「いつかメジャーでやりたい」という思いを一層確かなものにしたのではないだろうか。
 奇しくもその同じ年、日本球界と喧嘩別れした野茂英雄投手がメジャーへ渡り、偉大な先駆者となりおおせた。その後、彼の背中を追って幾人もの日本人プレイヤーが次々とメジャー入りし、一様に楽しさを隠さずプレイしている。また、日本のプロ野球をクビになってアメリカ独立リーグに身を投じたかつての好打者・佐々木誠選手も「初めて野球を楽しんでるよ」と実に晴れやかな表情で語っている。野茂ら三人の日本人投手が独立リーグのチームを買収しオーナーになったことで、今後ますます多くの日本人プレイヤーがアメリカへと向かうことであろう。
 しかしながら、思い出してほしい。あの年のマリーンズは紛れもなく日本のプロ野球チームであり、管理されることに馴れきった日本人ですら、やり方一つであれほど自由で楽しい野球を展開し、なおかつはるかに好い結果を手中にできるのだ、ということを実証してみせてくれた。わざわざアメリカまで行かなくても、日本にいながらこんな野球ができるんだよ、と満天下に知らしめてくれたのだ。
 あの年のボビーは、単にマリーンズとそのファンに夢を与えたのみならず、もっとスケールの大きなプレゼントを我々に残して行ってくれたと私は思う。そして、そのプレゼントは我々の手でさらに大きく膨らませてこそ真価を発揮するのではないだろうか。もちろん、野球に限った話ではなく。


'02.夏  東雲 晨





inserted by FC2 system