先ごろ、エジプト北部とモスクワを旅する機会に恵まれた。気温、宗教、文化に雰囲気、あらゆる意味で全く異質な両地域を続けざまに訪れるという趣向に、私は大いなる期待を寄せて日本を発った。
 現地時間の深夜、カイロ空港に到着し大地に降り立った瞬間、私は早速ある洗礼を受けた。土埃臭、石炭臭、もしくは昔の小学校の木造校舎を彷彿させるような強烈な匂いに全身をすっぽりと包まれたのだ。しかも、大気は乾燥しているはずなのに何故かその匂いがしっとりした湿り気をまとい、このため地表というよりは地中の空気を吸い込んでいるような感覚に見舞われた。のちに当地で採れる野菜を食した際、その匂いをジャガイモに濃厚に感じたことで、あれはやはり地中の匂いだったのだという思いを強める。地の底から湧き出す、エジプトの匂い。ちなみにジャガイモの味の方は、当然ながら“エジプトの味”としか表現しようのない代物であった。
 翌朝、とりも直さずピラミッドを観にギザへと赴く。砂漠に幾つかそびえる中でも最大のものであるクフ王のピラミッドたるや、建造物というよりも小山のようなスケール。陽射しが強まるのを避けて割と早い時間帯に訪れたせいで、頂点付近には靄(もや)がかかり、その演出がまた神々しさを増幅させる。陽が高くなるにつれて気温はあれよあれよと上昇し、やがて未体験ゾーンともいうべき太陽のパワーを知る。それは、ヒート・アイランド東京の人工的な熱とは根本的に質を異にした、純粋な陽光の、大自然の強力(ごうりき)である。空の上からのし掛かられてそのまま砂漠に押し潰されてしまいそうな万力のごときプレッシャーに、太陽神ラーを絶対と崇めた古代の人々との共感を持てた気がした。
 次に、地中海に臨む都市アレキサンドリアやスエズの海を経てシナイ半島へと足を踏み入れる。ごつごつした山々が連なるこの半島は、旧約聖書においてモーセが神より十戒を授かったとされるシナイ山を擁する。山々の剥き出しの岩肌が直射日光を浴びて土色の輝きを放つさまは、遥か遠いアンデスなどにも通じるものなのだろう、と勝手な想像を巡らせた。カイロのような街中とは違って人間臭さが薄い分、土の匂い、つまり地の底から湧き出す匂いが一段と勢力を増す。そしてここでも陽光は、露ほどの容赦もなく大地を、我々を射すくめ続ける。
 その後も、エジプトに別れを告げるまで“太陽”と“匂い”は常につきまとい、一瞬たりとも解放してはくれなかった。夜であろうと屋内であろうと、私の意識下に棲みついた“太陽”と“匂い”が絶えずその存在を主張するのだ。まるで自分が「ここにいるうちは決してお前を逃がさない」と宣告された囚われ人ででもあるかのように思えた。天空からの太陽と、地底からの匂い。この二つの大いなるエネルギーに上下より挟み込まれながら、五千年もの歳月を煉り上げてきた場所――エジプトは、“最も密度の高い地上”だといえるかもしれない。

 エジプトの暑い熱いインパクトを全身に刻みつけられた状態で、モスクワに向けての4時間余りのフライトに臨んだ。エジプトの余韻に溺れている上、モスクワへの滞在がトランジットを利用したごく短時間のものだということもあり、正直なところ、この時点での私はロシア訪問を「ついで」「おまけ」といった軽い感覚でしか捉えていなかった。実際、早朝のモスクワ空港に着いて街に一歩踏み出したとき、あまりの寒さと重苦しい曇天に息詰まるような圧迫感を覚え、ついさっきまで浴びていた明るい太陽が早くも恋しくなってきた。
 が……北の大国を侮った過ちに気づくのに、さほど時間はかからなかった。赤の広場、数々の寺院や建築物、それに歴史的人物の銅像群。張りつめ切った冷気の中で1時間、2時間と街を巡るうちに、じわじわ、じわじわと「モスクワ」は私の心身を浸してくる。と同時に、まだ生々しいはずの「エジプト」が徐々に徐々に塗り潰されていく。その黒幕は、太陽や匂いのようにハッキリとは感知できない“姿なき圧力”とでも呼ぶべきか。結局、街を駆け足で観終えた頃には、極端に言えばエジプトの印象が少なからず霞んでいるような感触、ずっと前からモスクワにいたような錯覚すら突きつけられていた。それは、生活様式がすっかり欧米化された我々にはアラビア世界よりも親しみやすい、などといった次元の話ではないように思えた。“ロシアの凛々しき重低音”が、肚の底にズンズン響く。必ずやもう一度訪れて、今度はゆっくり首まで漬かりたい――そう思わせる磁場が、勝ち誇るかのように辺り一面を覆い尽くしていた。
 仮に訪問順や滞在日数が逆であれば、恐らく逆の結果になっていたことだろう。ロシアの後にエジプトを少し体感した時点で、ロシアが吹っ飛んでしまった、というように。それだけ両国の個性が屈強であるということだ。それも、古(いにしえ)の遺物としてでない、「今」に脈々と息づく強い個性が。そんな個性は、この両国のみならず、長い歴史を持つ国の多くが当たり前のように具有するものではないかと思う。歴史の長い国、といえば当然日本も該当するわけだが、果たして日本を訪れる外国人たちは、この国の今の姿にそんな濃い血を感じ得るのだろうか。小奇麗かつ小器用に色々取り揃えてはいるものの、「じゃあ、日本とはいったい何だ?」と問われたら、相も変わらず大昔の寺社仏閣のような“現在の最前線から隔離されたもの”しか提示できない、ということになってはいないか。

 ところで、各国や各民族の強さの根拠をなすのは、ほとんどの場合「宗教」である。エジプトの場合はラーであり、ロシアならロシア正教、つまりキリスト教。他にも、国家、帝王などの「絶対的支柱」を拝み信じることによって、国や民族は強さを発揮する。逆に言うとそこには、寄る辺がなくなるとバラバラに崩れ去る、という他力本願的な脆さが潜んでいるかもしれない。
 今の日本は、はっきりした寄る辺を持たないという、世界でも珍しい国の一つである。こんな国にこそ、「絶対的支柱」なしでも個々人が強さを持てるということを示せるチャンスがあるはずだが、実情はと言えば、逆に「絶対的支柱」の必要性をきれいに実証している有様である。つまり、天皇や神仏を崇め奉っていた頃の日本人には気骨があったのに、そんな対象が薄らぐにつれフニャフニャになってしまった、という風に。人間がビシッと芯を持つには、それに従うにせよ抗うにせよ、やはり何がしかの高い壁が不可欠だということなのか。それとも、神や宗教に頼ることのない、他国では考えられない類の強さを、ここらで日本がビシッと示すべきなのだろうか。

 二つの国を後にして日本に戻り、空港から自宅へと帰路についた。車窓に流れる見慣れた「日本の風景」を目にしながら、ぼんやりと物思いに耽る――
 誰かにとっての故郷や祖国とは、たまたまその人が生まれ育った場所である。つまり、住み慣れて心身に馴染んだ場所ではあっても自分の意思で選んだ場所ではない。結果的にその地を好きになれれば幸いだが、どうしても好きになれない、あるいは肌に合わないケースもあるだろう。そんな場合には、「故郷だから」「祖国だから」といって無理に愛そうとする必要などないのではないか。むしろ、大人になってからどこかを何度も訪れてその土地を深く知り、心底気に入ったならば、そこを「任意的な故郷」と見なしても構わないし、そんな形で注がれる愛情もまた揺るぎない“郷土愛”と呼べるのではないだろうか。
 それにしても……私が旅から戻るたびに「自分にとってここはただ“住み慣れた”場所にすぎないのでは?」と感じるのは、しょせん贅沢で短絡的な錯覚なのか?
 ――心地よい疲労感と夢のような時間の余韻に浸りつつ、そんなことを想っていた。


'04.秋  東雲 晨





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