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 昨年の冷夏から一転して、今年の夏は“獄暑”となった。湾岸の高層ビル群が海風を遮断する“ヒートアイランド”東京で39.5℃という観測史上最高気温を記録し、その一方で新潟・福井は記録的な集中豪雨に襲われた。気象庁によると、地球温暖化とともに「気象の二極化」が進行しているという。つまり気温や降雨量などが年、場所によって大きく変動し、暑い、あるいはよく雨が降る年や場所とそうでない年や場所との差が著しくなってきたのだ。こんな二極化の波は、自然界だけでなく人間社会にも及んで来つつある。
 10年ほど前から学校に「ゆとり教育」が導入され、そのカリキュラムに基づいて指導された生徒たちの学力がそれ以前と比べて格段に落ちた、という嘆きをよく耳にする。もちろん受験学力は「頭の良さ」の中の1ジャンルにすぎず、受験学力と頭の良さとが必ずしも一致するとは言い難いが、どうもそういうレベル以前の基礎学力の話らしい。このままでは、自力で自分を伸ばすことのできるごく一部のごく優秀な生徒と、「間違いも個性」などと開き直るその他大勢との二極にブッツリ割れてしまうと懸念されている。そもそも、不必要なまでに高度な受験学力を要求された時代から、必要最低限の学力すら身につけられない時代への急転換というのも、また極端な話である。
 また、近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブの合併騒動に端を発したプロ野球再編問題は、まだ今後の動向が予断を許さないものの、現時点では1リーグ制実施の方向へと展開しつつある。若い経営者の率いるIT企業が起こして話題を呼んだバファローズ買収のアクションは頑なに弾き返され、FA制や逆指名制を撤廃してのウェーバー制導入、それに収益の各チームへの均等分配などといった魅力的な案も陽の目を浴びる気配はない。もしこのまま1リーグ制に落ち着くようなら、プロ野球界は最悪の事態に向けて突き進み始めたと言わざるを得ないだろう。その結果として簡単に予測できるのは、特定の球団とその他の弱小球団との、戦力、人気、経営状態など様々な面での決定的な格差拡大である。そしてもちろん、それがプロ野球そのものの衰退に繋がっていくのもまた自明の理だ。
 その他、参院選の投票結果による二大政党制化、銀行や全国市町村の相次ぐ合併による肥大化、そして弱肉強食を推進するかのような政策などなど、二極化への種は枚挙に暇がない。まさに「白か黒かのデジタル時代」であり、これが世の中全体の無個性化を促すという見方もできるだろう。
 だが、その一方で二極化の逆の傾向、つまりニュートラルな状態を好む傾向も根強く残っている。それも、ただ中間に“向かう”のではなく異常なまでに“向かいすぎる”といえるほどの勢いなのだ。
 例えば、人間の中性化がどんどん進み、もはや「男」「女」といった概念は通用しなくなりつつある。また、人間は精神・肉体とも昔に比べ総じて若く、というより幼くなったが、それとは別に子供は変に背伸びをし、大人は変に若作りして、「世代」という概念も消滅の一途を辿っている。それから、あらゆる地方が都会の基準に合わせようとして各地固有の独自色が失われ、どこを訪れても同じような風景に出くわすという現象は、情報化社会の発達により一層顕著になってきた。更には、人命の扱いが軽くなり、若者のみならず、いい年をした大人までもが驚くほど些細な理由で他人を死に至らしめる事件が後を絶たない。リアルとバーチャルの識別力が崩壊した彼らにとって、「あの世」と「この世」の垣根などないも同然なのだろう。
 もう一つおまけに言えば、“顔”である。人間の顔から滋味がどんどんなくなり、アクが強くハッキリした「濃い」顔は影を潜めて、特徴というものを敢えて拒絶するかのような「薄い」顔が巷に溢れかえっている。
 あらゆる事物は平均ラインに集まりがちであり、また多くの人は元来「人並み」や「平凡」を好むものだが、平均どころか極端に“ド真ん中”へと向かうのは明らかに不自然といえる。「純・灰色のモノトーン時代」とでも呼ぶべきか、これまた無個性化を象徴するような響きである。
 以上――両極に限りなく近づこうとする領域と、両極から限りなく離れようとする領域。徹底した白黒指向と徹底した灰色指向への二極化、これこそが時代の実相、そして無個性化の真相ではないかと私は思う。
 白と黒の間、および純・灰色の両側に広がるゾーンに鏤められるべき無数の個性は、この二極化により居場所を追われるばかりだ。しかしながら、そういった逆境を掻いくぐり、真に強烈な個性が何らかの形で頭角を現す、などというのもまた、この世で最も痛快な、こたえられないパフォーマンスの一つではないだろうか。


'04.夏  東雲 晨





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